○直感と技術
日常生活、芸術活動、スポーツなど人間が活動する時には直感がある。直感は頭が思考に埋め尽くされてる時には浮かばず、無心になった瞬間に浮かんでいる。ここからは直感を得てそれを表現する身体的技術について見ていく。
自我が強くても、本人に適した活動をしている時は直感に恵まれる。反対に誠実な人でも適した活動をしていない時は、直感に恵まれない。直感に恵まれる人ほど才能があるとなる。
⚫︎直感
人間は無心の時に直感を得て、そして何らかの技術でそれを表現する。直感、閃き、アイデア、インスピレーションなど呼び名は様々であっても、これら大本はすべて同じで、すべては頭の中で気づくことから始まる。
そして何かに取り組めば、深く思考することも増える。我欲で思考している時、無理に答えを探し出そうとしていることがあり、そのアイデアは後から見れば良くなかったということが多い。ただ他者や世の中のためなど、純粋な気持ちから考えてしまう時は、とことん考えたほうが良い。
その後、気分転換が必要になるが、これは考えつくした後でということが前提になる。この考えつくすというのは、脳が実際にねじれているような感覚に達するまで、脳が疲れて考えられなくなるまで、もう探求する要素がないというところまでを指す。自分の中に探求できる要素が残っている場合は、本当に必要な閃きを得ることはできない。常に自分の思考や知識の限界に達する必要があり、そこまで思考して気分転換をすると、限界を超えるための閃きが頭に浮かんでいる。
気分転換の方法は人それぞれだが、寝るという行為には大きな効果がある。頭へ大量の情報を流し込み、探求し、脳が処理できなくなる、または疲れたというところで寝る。すると脳内の情報が整理される。起床後、頭がすっきりとし、フッと解決策が浮かんでいる。こういったことは脳の1つの習性だが、脳には入力、整理(無心、ぼーっとする)、出力という3段階がある。これに気づき活用する人は、休憩前や1日の終わりに次に取り組む問題を頭に詰める。そうすれば休憩後や一晩寝ることでアイデアが浮かぶ。寝る時間は30分でも良い。寝るという行為は非生産的で不真面目な行為ではなく、直感を得るという観点から見れば効果的なもの。シャワーを浴びる瞬間に頭が無心になってアイデアが浮かぶということもあるが、気分転換や寝ることなど1度頭に無心の時間を設けて整理すれば、無心になった空間に直感が入ってくる。
無心になるには、誰にも邪魔されず1人になる時間、孤独、暇な時間が適していることがある。孤独は寂しいもの、友達がいなくて虚しいものなどネガティブな印象もあるが、直感を得たり、内観して精神面を向上させるには孤独が適している。
直感を掴むとはとても単純な行為であり、考え出すというよりも無心になって頭に浮かんだものに気づき、それに素直に従うだけとなる。直感は一瞬にして頭の中に用意されている。
スポーツなどでも直感的に体が動いたプレーというのは、素晴らしいプレーが多い。そのプレーの一瞬前に「こうするべき」という閃きがあり、それを実行すると必ず良い結果になる。実行するというよりは、自然と体が動いたという表現が近い。反対に不安や恐れが頭を占めている時に良いプレーはできない。物作りにおいても、無心で出来たものは良い物になる。直感に従った行動や生き方というのは良い結果を生み、それは人間を含め生物の本質的な生き方であり、本来持つ能力が最大限に発揮される生き方でもある。つまり無心になるとは静かに何もしないということでもあり、その中で直感がやってきて、成り行きに身を任せて行動するということでもある。
取り組む事柄がその人に適していれば、そうでない事柄より直感が得やすくなり、自然と行動に自信が溢れ、堂々とし、魅力的になる。つまり天職、適職である。しかし他のことをすれば、平凡な能力しか発揮されなかったりする。つまり誰でも得意なことを見つければ驚くような力を発揮することができ、何が向いているのか自己探求すれば良いわけで、子供のように好奇心があれば取り組んでみると、天職、適職は見つかりやすくなる。大人でも趣味の領域にそれらが見つかりやすい。天職や適職はそれを行なっていることが自己表現であり、喜びでもある。ただ天職の場合は人生や命をかけた使命感があり、見返りを求めず与えることに徹することができるが、適職は金銭などある程度何かの見返りを求める。それが2つの違いと言える。
⚫︎シナプス
直感を活かすためには多くの場合、身体的な技術が必要になる。人間の脳や体には多くの神経細胞が詰まっており、そこを微弱な電気信号が流れることで、脳からの指示が筋肉に伝わる。神経と神経をつなぐ組織にシナプスというものがあるが、このシナプスは良く使う部分は太く、あまり使わない部分は細くなり、やがて切断する。神経をつなぐシナプスを太くしていくと、脳からの電気信号の流れがスムーズになり、勉強においては答えが早く出せるようになり、運動では動きが滑らかで早くなる。
このシナプスを太くする方法は反復練習にある。反復練習というのは、1度覚えたことを何度も繰り返し行う。興味のないことの反復練習は苦しいものとなるが、好きなこと興味のあることであれば練習も比較的楽しいものとなる。
そして中長期的に反復を繰り返し、脳→神経とシナプス→筋肉の経路ができれば、1週間や1ヶ月練習しなくても覚えた技術は忘れない。これを長期記憶と呼ぶ。シナプスの数が多ければ、脳からの電気信号を正確に早く筋肉に送ることができる。複雑で高度な技を披露する上級者は、長年の反復練習によって長期記憶にまで達し、シナプスが太く多くなっている。上達には反復練習以外になく、長期的に取り組めることは好きなこと興味のあることで、近道はない。
こういったことが理解できると、現実の生活には無駄が多いことが見えてくる。例えば語学学校の年間授業料は20万円から100万円と多様に存在するが、20万円より100万円出すほうが自分に対して良い教育をしてくれ、上達も早そうに思える。そういった面は確かにあるが、しかし外国語を話せるようになるには自分で話す以外上手くなる道はなく、100万円払い良い先生がいて安心感はあるが、20万円の5倍早く喋られるようになるわけではない。とにかく会話をしてシナプスを太く多くし、頭で単語を変換せずとも自然と言葉がでてくるまで反復を繰り返すだけとなる。つまり本人の学びたいという意欲と反復だけとなる。たまに取り組むというペースではなく、好奇心がある間に毎日集中して取り組んで長期記憶まで達することが重要であり、成長量は反復回数に比例する。あとはその個人の生まれもった才能、性格、身体能力、環境によって、伸びる部分や上達期間に差がでてくる。
⚫︎シナプスが育つ目安時間
例えば踊りの簡単なステップ、打楽器の短いリズム、スポーツのシュートなど、技術的に最小の動きがある。初心者がこれらの1つに取り組んだ場合、1日30分の練習を繰り返すと、1週間ほどで体がその動きを覚え始めるが、まだぎこちないレベル。1ヶ月目にはその質はもっと高まり、3ヶ月目には考えなくても自然と体が滑らかに動くようになり、質が高いとは言えないが素人っぽさはなくなる。この3ヶ月目までに2つ3つと他の基礎技術も練習していれば、それらの複合技もできるようになる。ただこれもやっと体がその動きをできるようになった段階。これはシナプスが育つ短い時間の目安。
あとは高い集中力が維持できる練習時間で、動画なども使って上級者の動きとも比較し、修正し、反復し、新しいことにもチャレンジし、この自己分析を年単位で続けていくほどレベルが上がる。そのため、本当に好きなことしか高い意識を持続することができない。3年ほど経つと、明らかな実力として結果が出せるようになる。シナプスに年齢は関係なく、何歳でも上達する。ただ運動と同じで、若い時から高齢になるまで運動し続けている人は、高齢で新しい動きを学んでも、シナプスができているので体がすぐに順応できる。反対に高齢になって突然運動を始めても、シナプスが少ない分時間がかかり覚えも悪い。これは頭を使うことでも同じ。
⚫︎小さく簡単から
誰でも初心者から上級者へ向かうが、初心者が心がけるべきことは最小のものから取り組み、慣れとともに最大のものへ進んでいくということ。例えば動作に関することであれば、基礎技術から取り組み始める。速さから求めるのではなく、遅く確実から速く確実へ進む。物づくりにおいては、短時間で完成できるものから取り組む。少ない作業量のものから取り組むと、小さな成功の連続によって常に達成感を感じることになるので、楽しみながら続けることができる。
⚫︎覚えようとするよりも見慣れる
一度見たものをすぐに覚えられる記憶力の良い人もいれば、何回見ても覚えられない人もいる。例えば英語を学ぶ場合、記憶力の悪い人にとって単語を覚えることは大変なこと。単語帳を端から端まで見て覚えるのも苦痛だが、覚えたところで実践で使わない単語はすぐに忘れる。反対にどんなに記憶力が悪い日本人でも、ほとんどの人は日本語をなめらかに喋ることができる。それは小さな頃からずっと日本語に接しているため、無意識に何回も日本語を見聞きし、それに慣れている。つまり覚えようとするより、使い続ければ単語や言い回しに慣れ、自然と頭に記憶されている。つまりもし何か覚える必要があれば、実践の中で新しい言葉や知識に何回も触れる状態を作る。英会話であれば様々な題材を用意し、たくさん会話をしていると自然と新しい単語を見聞きし、使う必要も出てくる。そのようにして覚えようとするより、意図的に何回も知識に触れるように工夫しておくと、例え記憶力が悪くてもやがてそれに見慣れ、頭に記憶されている。
⚫︎自信を失う瞬間
そしてどんなことに取り組んでいても、反復を繰り返しているうちに成長を感じなくなる時が訪れる。人間の成長は「やや右上がり→少し下がる→急激に右上がり」を繰り返す。楽器やスポーツの基礎技術は単純な動作だが、同じ動作を30分から1時間繰り返すと失敗が増えてくる。体が疲れてくると同時に感覚が麻痺してくるような状態だが、これを人によっては調子が悪くなった、下手になったと言い表すこともあり、一時的に自信を失う瞬間でもある。こうなれば一旦休憩する。この休憩の間に体や頭が整理され、再び練習を再開すると休憩前よりスムーズに行えるようになる。ただこれは1日のなかにおいての取り組みなので体は疲れ、動きの精度は下がり続ける。これを数日間繰り返して行うとある数日間、調子が悪くなる時が訪れるが、それが過ぎれば大きな成長を感じることになる。
基本的にはこの繰り返しで長期記憶まで達する。反復を繰り返して体が動きを覚えることが長期記憶なので、質の低い長期記憶から質の高い長期記憶まで人それぞれとなる。
⚫︎余裕
質の高い長期記憶に達すると、考えなくても体が動くようになるので心に余裕が生まれる。その余裕の分だけ心が落着き、直感に気づきやすくなり、アイデアが生まれやすくなる。例えばこういったことを、サッカーを例に考えてみる。
初心者が足で転がってきたボールを止める時、頭は止めることで精一杯になるが、中級者になれば周囲の状況を確認してからボールを正確に止める。そして上級者は周囲の状況を確認し、止めることと相手のゴールへ向かうドリブルの1歩目を同時に行う。さらに上級者になると周囲の状況を確認し、止めることと相手のゴールへ向かう1歩目で相手1人を抜く。
こういったことは1つの例だが、ボールを止めるという基礎技術がどこまでも高まればそれだけ余裕が生まれ、1つの技術から発展した数多くの発想が生まれる。さらにスピードや正確性も増す。あらゆる上級者は基礎レベルが高く、初心者は基礎レベルが低い。上級者同士の基礎レベルにも差があり、結果それらを組み合わせた応用技術、スピード、判断力、余裕に差が生まれ、全体のレベルが違ってくる。
⚫︎好奇心
基礎の反復と合わせて考えるべきことは、スポーツが好きなら試合をすることから、楽器をするなら好きな曲で簡単なものから、料理を覚えたければ今すぐ食べたくて調理が簡単なものから、デザインをしたければ好きなデザインでシンプルなものを作ることから、外国語であれば辞書のAからZを覚えるのではなく、日常会話でよく使われる言葉から取り組むことが重要となる。
今求めている事柄やすぐに役立つ事柄から行うことで、まずその満足感を得ることができ、小さな成功体験によって意欲の継続につながる。自分の好奇心を第一優先にして取り組む順序を決定すると、最も自然で最善に物事が進む。好奇心も直感。多くの場合3年続けると自分の独自性が確立されてくるが、好奇心を優先せず参考書の1ページ目から取り組むようなやり方は、楽しみを感じながら取り組むという要素を大幅に減らしているので、途中で飽きてしまうことが多い。これは貨幣社会の学校で行われる本人の好奇心とは関係ない教育方法にみられるが、反対に遊びとなると誰でもしたいことを真っ先に行うので常に楽しく、よって継続でき、気づけば成長している。
⚫︎一人でまとめる
反復によって得た技術で直感を具現化し、何かが完成する。完成するものには質がある。高い質の物を作り上げるには、1人でまとめることが基本にある。無数の素材の中から数個を選び取ってまとめる作業を1人でこなすところに、隅から隅まで1つの個性でまとめられた無駄のないものが出来上がる。チームをまとめる監督は1人でなければ全体の方向性は定まらず、バンドのメンバーがただ一緒に曲を作れば個性がぶつかりあうので、代表者が曲をまとめ上げる。同じ画用紙に1人の絵描きが目の部分を描き、違う絵描きが口の部分を描いていけば、まとまりのない人物画ができあがる。
2人で何かに取り組む場合も、1人がまとめ上げ、もう1人は自分の能力を惜しみなく提供する関係が基本になり、相手の選択肢が増えるようアイデアを提供する。この関係性は人数が増えても変わらない。つまりまとめ上げる人物の実力、経験値、人間性が高ければ、すべては問題なく進む。問題になる場合の多くは、まとめる人物の実力や人間性が足りない時、方向性が定まっていない時、そして周囲の人間が口を挟み過ぎる時となる。
⚫︎干渉を控える
調和の取れたものは1人の人間がまとめることが基本になるが、つまりどんなことも自己責任で決定して取り組んでいくということになる。反対に他人には干渉しないことも基本になる。干渉された側は、自己責任で取り組む姿勢を邪魔されることになるため。仮に誰かに助言をしようか迷った場合は、迷うことは直感的ではないので結果的には助言しないほうが良いことが多い。
⚫︎核の要素から
物作りを行う時は目的を持って製作することが多いが、その場合、核となる要素から作り始めると、比較的容易に無駄のない調和したものを作り出しやすくなる。核となる要素とはその製品の売りや特徴で、製品を構成する要素の中でも特に大きな影響力を持つ要素。
例えばウェブ上の検索サイトは、検索結果の質そのものが売りとなるので、検索機能が核の要素となる。早く走る車を作るなら第1にエンジンが、第2に形状が核の要素となる。座り心地の良い椅子を作るのであれば、形状や材質など肌に接する部分が核の要素となる。料理であれば多くの場合、第1に味が、第2に盛り付けが、第3に器が核の要素となる。
核の部分をある程度完成させるということは製品の大半を完成させたことになるので、その他の要素の特色を核の部分へ合わせるだけとなる。また完成品の質も完成前にある程度解り、完成までの日数も具体的になるので集中力を継続させやすくなる。さらに集団で取り組んでいる場合は、チームのモチベーションの維持にもつながる。
例えば大掃除をする時、大きな家具を移動させてから隅々を掃除する。すると大部分が片付いたことになり、あとは残りの小さな部分を掃くだけになる。そしてある程度終了時間も計算できるので、集中力を維持しやすくなる。
⚫︎意識の高さ
天職、適職を手にした人物の取り組みを目安にすると、日々どれくらいの意識の高さで取り組めば最高の質のものが生まれるのかがわかりやすくなる。意識が高いとは、いつも考えていて、純粋でひた向きで、直感にも恵まれ、深い集中力とその持続力、観察力、実行力が高いとも言える。
天職、適職を手にした人物の生活は多くの場合規則正しく、自分を律して過ごす。他人から見れば努力家と見られることもあるが、本人からすればそうしたほうが良い結果につながり、成長にもつながるのでやりがいを感じている。つまり努力というよりはそうすることが自然で、自主的に、前向きに取り組んでいるので生活も充実する。これは天職、適職に取り組んでいるからこそ出来る行動であって、朝から晩までそれの為に生き、休憩中もそれが頭の片隅にあり、予定のすべてがそれを中心に決定される。
つまり自分が現在取り組んでいる事柄がやがて最高のものへ進化するかどうかは、今現在の取り組み方を観察すればわかる。もし今日1日の大部分の時間を自主的に興味のある事柄に使い、目的を持って取り組み、昨日より何か進歩した部分を感じるのであれば、3年後には独自の表現を持った人物になっている。すでに3年間行っている人であれば実力者となっている。
こういった意識レベルの違いを、職場の例で考えてみる。例えばアルバイトは社員よりも取り組む意識が低い。アルバイトは仕事そのものよりも小遣い稼ぎが主な目的なので、その仕事に割く時間は1日数時間となる。よってバイト中以外の時間に、それについて考えることはほぼない。そして社員はアルバイトとは異なり、1日のほとんどを仕事で占める。ただ多くの場合社員も生活費を稼ぐために働いており、また労働時間も会社が決定しているので自主的というわけではなく、天職、適職の人間からすれば取り組む意識は低い。そして会社の上司など社員より上の立場にある人物は、社員よりも取り組む意識が高いことが多い。よって集中力や観察力があるので社員が気づかない細かな部分にまで目が行き届く。そして社長や創業者は天職、適職であることが多く、生活のすべてを仕事に捧げている。休憩中も帰宅後も休日も仕事について考え、休むことより働くことのほうが楽しい。こういったことは一例だが、当然アルバイトや社員の中にも天職、適職の人間はいる。
貨幣社会の仕組みでは天職、適職に出会う人は少なく、取り組む意識は全体的に低いものとなっている。意識レベルが違うもの同士では、集中力も会話の内容も時間の使い方も異なるので同じグループで働くことは難しくなる。こういった意識レベルの差は、取り組んでいる事柄が自分に合っているのかどうかで生じるものなので、合っていなければ誰でも意識は低くなり、天職であれば自然と意識は高くなる。これらは学校生活の中でも見られ、勉強ができる生徒と言うのは学校が決めた教科がその生徒にあっているというだけであって、テストの点が低い生徒は頭が悪いということではなく、その教科が本人には合っていないだけのこと。テストの点が悪い生徒の中にも美術だけは点数が良かったり、体育だけは良かったりと、生徒それぞれに適した科目がある。そして学校に得意科目がない生徒は、長い学校生活の中で劣等感や無能感を植え付けられ、非積極的な姿勢が習慣化される。
誰でも自分に合ったことをすれば意識が高くなり、行動力にも溢れ、その分野において秀でた才能を発揮することができる。人間は意識の高い状態の取り組みにおいてのみ、質の高い結果を出すことができる。つまり自分の活動の結果を良いものにしたければ天職、適職に取り組む必要があり、多くの場合、趣味として取り組んでいる領域にそのヒントが隠れていることが多い。
⚫︎極端な取り組み
世の中には物の見方が深く、多くの人には見えない視点で物事を分析できる人がいる。こういった人は大体実力者だが、このタイプに共通しているのは極端な経験をしてきていること。だから物の見方がより深くなる。天職、適職以外の事柄に取り組んでいる人は、そこそこの熱量、そこそこの集中力、そこそこの時間で取り組みが終わる。よって少しの苦しい経験し、少しの喜びも経験する。その分経験値も浅く、物を深く観察する経験も少ない。会社で言えば平社員にあたる。物の見方が深い人や実力者は、極端過ぎるほど取り組んだ過去がある。物凄い量の本を読む、物凄い数の作品を作る、物凄い時間練習する、物凄い時間観察する、物凄い時間考える、物凄い働く、物凄い数の人に営業をするなど、一つのことに徹底的に、病的なほどに時間を割く。だから物凄い苦しんだこともあれば、物凄く得たこともある。よって物事の極(きょく)を知る。言い換えると1日24時間でできる取り組みの限界を知るので、0からその端までのことが理解できる。だから人には見えない部分や奥深さが見え、これぐらい集中して時間をかければこのレベルに達するというのが見えてくる。会社で言えば創業者に多い。
そして人間は自分の経験したことを話す時は言葉に力が乗る。よって会話も魅力的になり、発言に重みも増す。だから極を経験した実力者の話は面白く、平均的な経験値の人の話は深みがない。
平均的な取り組みしかしてこなかった人は、自分の子供や身近な人が極端な取り組みをしていた場合、それを不安に感じ、注意したりやめさせたりすることがある。極端な取り組みは健康を害する危険性がある。しかし反対の見方をすると、実力者へなるための必要な階段を登っている時でもある。
極端なことをしているときはバランスを欠いている。しかしそれを一定期間続けると、コツをつかんでくる。するとその極端な事柄の効果的な部分だけを残しながら、手を抜くところとのバランスが取れるようになる。
極端な取り組みは誰でもできる。ただそこには条件があり、自分がとことん熱中できる興味に従っている時や天職、適職に取り組んでいる時だけとなる。それを見つければ、自然と物凄い時間をかけて取り組むことになり、実力者に成長している。
初心者から始める場合は質より量を求め、知識が増え、実力が高まり、全体像が見えてきたら見る目が肥えてきているので、量より質に変わる。
⚫︎先読み、推進力
組織のリーダー、経営者、スポーツ選手など、競争の世界で結果を出す人には、共通している要素がある。それは「先読み」と「推進」の能力が高いということ。
例えば「これからの時代はこの製品が時代の主流になる」と先読みする経営者がいる。あとはその製品を作って形にしたり、それに必要な人材を集めてきたりする行動力、推進力が必要になる。
スポーツ選手も例えば、ボクシングで試合をしている2人は、常に上体を揺らしたりジャブを出したり駆け引きをしている。つまり次の動きを先読みをしている。そして圧力(推進力)をかけ、腹や顎(あご)に重い一発を狙う。
サッカー選手もドリブルで抜く選手はドリブルが上手いと表現されるが、抜く前にボクシングと同じで上体を揺らしたりフェイントをかけたりして駆け引きをし、抜く隙(すき)を探している。つまり先読みしてから推進する。守備の選手も同じで、相手がドリブルで来たら先読みをして取りに行く。足は早いが先読みで負ける守備は抜かれる。足が遅くても読み勝つ守備はボールを奪う。
この原理は他のスポーツでも同じ。スポーツの監督も、自分が参加しているリーグの対戦相手の情報や、練習内容とその効果などを予測し、練習に落とし込んで選手に実行させる。つまり先読みし、推進(実行)する。
結果を出すあらゆる個人、組織は、ほとんどがまずこの先読みで勝ち、同時に推進力(実行力)もある。先読みは頭の回転の速い人の方が有利で、よって余裕があり、直感に恵まれ、アイデアが閃き、勝負事では勝ちにつながり、ゲームも支配する。反対に余裕がない方は迷いと不安が生じ、直感的になれず、突破する方法が見えない。先読みの能力を上げるには、一つは成功体験や知識を得ること。もう一つはトレーニングで頭に通常以上の負荷をかけることがあげられる。頭に負荷をかける例は次のようなものがある。
・本を読むなどして知識を得ること。知識と知識が結びつき、予測の精度が高まる。
・反復練習を繰り返す。すると考えなくてもその動きができるようになり、余裕ができた分、分析したり周囲がよく見えるようになる。また反復によってその動きを体が素早くできるようになり、スピードが上がるので他者より速く動けるようになる。
・ひたすら考え続けること。するとより深く本質的な要素に気づきやすくなり、その分、確実で無駄のない行動をとることができる。ただ好きなことに取り組んでいることが、長期継続の鍵。
・球技ではボールを持つ攻撃選手に対し、守備2人以上で取りにいく。通常の試合では攻撃選手に対しマークは1人なので、2人以上分の頭の回転の速さと決断速度が必要となり、その分先読みが速くなる。
・2つの以上の動作を同時に行い、脳の処理能力を高める。例えばお手玉やジャグリングをしながら走ったり、クイズを出したり、足で別の作業をする。
・サッカーでは例えば紅白戦でワンタッチルールにすると、次の展開を先読みしていなければパスできないので、先読みが習慣化される。他にも4色以上のビブスを着た選手を2チームに分けて紅白戦をし、同色にパス禁止やリターンパスの禁止、さらには試合中に監督の一言で青赤チームだったのが、青緑チームに急に変わるなどがある。全て次の状況の把握と判断のスピードに負荷がかかっている。
頭に負荷をかけるには、一つのことをするのではなく、2つ以上の要素を同時に実行させる。それにより脳の思考速度、許容量、決断速度が高まる。この脳の先読み能力が高いほど、結果につながる。個人でも組織でも能力別に所属リーグや階層が決定されているが、先読み能力が高い人ほど上位のクラスの人物となる。対戦する2人の先読み能力が同じレベルであれば、そこに身体能力など他の要素で差がつく。
⚫︎成功体験
取り組んでいる事柄において結果が出せるようになり、実力もつき、数字も伴い、成功を収めると、注目され、周囲が賞賛してくれ、自分の意見に周囲が耳を傾けてくれ、やりがいもあり、自信も溢れる。
大きな成功体験は物事が成功するまでの過程を学べる経験でもあり、人生では大きな財産となり、自信にもなる。その後別のことに取り組んでも、すでに成功体験があると結果を出しやすい。やればできるという自信があり、成功までの過程を新しい取り組みに当てはめてイメージできるため。
ところが、大きな成功体験をしても、そこに人生のゴールを感じることはない。そこには明るい気分になる要素が多いだけで、苦しみがゼロになることもない。ただ、その成功体験から、そこには人生のゴールがないということを知れる経験がある。すると次に考えるのは、では人生の目的は何だろうということ。それは先にも述べた、幸せと苦しみの両極端の間にある無心に答えがある。そこに執着や苦しみを離れた何にも囚われない穏やかな状態がある。人間の自我は常に何かを手にしたいと望んでおり、気づけば獲得が人生の目的になっているということがある。
⚫︎継続、飽き、変化
継続できないことは意思の弱さだと思われがちだが、誰でも興味のないことを継続することは難しい。興味ある異性に毎日電話はできても、そうでない異性には難しい。継続できなければ自分には適してなかったと思って次へ進めば良いだけで、好奇心から天職、適職の発見、そして継続へと続き、次に来るのは飽きとなる。
継続すれば大抵のことは飽きる。飽きるまでの期間は人によって様々で、3日で飽きる人や一生続けても飽きない人もいる。人によって目的や極めたいことが異なるので、期間は変わってくる。長期間継続して飽きるというのは、その事柄が嫌いになったというよりは、たまに行うくらいで程良くなるということで、卒業の時期でもある。学生時代に毎日続けた部活動も、卒業後はたまに行う程度でほどよくなるようなもの。人間は常に興味や求めるものが変化していくので、同じ場所に留まっていれば周りが変化してしまい取り残されてしまう。継続できないこと、飽きること、興味が変わることは自然な現象であって、固執せず、常に変化することを認識し、今は何に興味が向いているのかに集中して取り組むことが良く、変化を認めることが結果的に良い。
⚫︎学び方を学ぶ
どんな事柄に取り組んでも成長の過程は同じであり、短くまとめると「好奇心、実践と技術の練習、長期反復」となる。もう少し詳しくまとめると、次のようになる。
1、好奇心
いつも好奇心に従う。好奇心は直感で、それに従って成り行き任せに進むのが良い学びの順序。好奇心に従うと学びが自主的になり、やる気も維持しやすい。
2、実践と小さく簡単な技術や知識から反復
実践でよく使うかんたんな技術や知識から選び出し、1つ1日30分、1週間繰り返すと体が覚え始める。この時、うまい人の技術や動き方を3〜5段階くらいに分けて見える化し、始めはゆっくり真似する。できるようになれば同じ速度で真似してみる。1ヶ月くらいするとシナプスも増え、かんたんな技術を3つくらい覚えると習得のコツがつかめてくる。またその技術を組み合わせると、複合技ができる。そしてこれを実践で使う。
知識の場合も覚えようとするより、実践を通じて見聞きする反復回数が多くなるよう工夫し、見慣れるようにする。こうして実践を繰り返していると、次の成長に必要なヒントも見えてくる。これを繰り返していると分析力が高まり、他の事柄に取り組んだ時にもすぐに理解する力になるため、何をしても独自に成長する能力が高まる。
3、1日の練習量と刺激
たくさん反復するほどシナプスが増え、質が高まる。1日1時間より、3時間以上練習するほうが成長量も増える。ただ次の日に疲れを残しては動きの精度が下がり続ける。取り組む事柄、高い集中力、次の日に疲れを残さないバランスで、練習時間を調節する。
また毎日同じ練習をしていると飽きてくるので、同じ技術練習でも変化を加えることが鍵。そのため新しい知識を本、動画、他者から得続け、刺激を加えて工夫する。その試行錯誤が考える力と計画する力を養い、幅広い知識と視野、そして自制心も養われてくる。
4、3年目
練習した技術や知識を実践で使い、自分で考えて練習計画を立てることを3年続けると、考える力も実力もつき、成長と成功のコツもつかめてくる。そのため達成感とやりがいを感じ、自信もつく。また1日24時間の限られた中で、限界に達するほど極端に取り組むと人間の限界も知れ、人間に対する理解が深まる。また自分が満たされていると、自我が薄い人ほど他者への貢献が喜びにもなる。もしこの期間に成長をあまり感じず自信を失いそうになれば、まず反復時間をよく観察してみる。反復量が少ないと成長量は少ない。
5、10年目
平均して1日3時間以上の自主計画の練習を10年間続けていると、合計で1万時間取り組んだことになる。1日2時間ほどの人の場合でも、合計7000時間になる。するとその事柄においてかなり高いレベルに達する。ただ1万時間と7000時間では、能力的に大きな差がある。ただここまで続けられるのは天職、適職の時で、高い取り組む意識があるからこそ。
また、物質的な成功の場合、それは人生のゴールではないとも知れる。その時は無心になり、執着を離れ、穏やかであることが鍵。もし1日1時間ほどを練習を10年続けた人は、合計で3500時間ほどになる。1万時間続けた人との練習時間の差は2.8倍ほどになり、能力的に明らかな差となる。
これは運動、芸術、知的活動など、ほとんどのことに当てはまる学び方。行う事柄が違っても、それを行うのは人間の体であり、人間の体が理解できると何をしても成長の過程は共通している。
○終わりに
ここまで意識、自我、直感と技術という人間の性質について見てきた。こういったことも自らが実践を通して体験することで理解していける。
どうして人間は苦しむのか、どうして争いや問題が起こるのかは全て自我があるからであり、意識的に意識として在る人が増えることが平和で穏やかな社会を築く土台となる。
著者 久保田 啓敬 / Hiloyuki Kubota
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