この世の構造と法則③

 

引力・反発


 同じ周波数同士が引き寄せ合うパターンの他に、もう一つパターンがある。例えば主張の強い者同士がペアになると、意見がぶつかり合うので相性が悪いことがある。だから妻が強気の性格なら、夫は黙って話を聞いて受け入れるような組み合わせがうまくいくことがある。


 自我の重い者の場合、目上には媚びて目下には威張る傾向にあるが、だからそういう人たちが集まってもバランスが取られる部分がある。上司は部下に威張るが部下はそれを受け入れ、その部下は自分の部下に対して威張るが、下の部下も黙ってそれを受け入れる。これも企業や独裁国家で見られるパターン。

 スポーツでもオタク文化でも、それに興味を持った同じ周波数の人達のなかで、性格的に強気の人から弱気の人もいる。それによってさらにグループが分かれていく。


 こういった引き寄せあったり反発しあったりする現象は、物質を構成する原子の中でも見られる。原子の中の陽子はプラス極、電子はマイナス極で、陽子同士だと反発し、陽子と電子の組み合わせだと引き寄せ合い安定する。これはクーロン力(りょく)と言われ、この力があるから物質が形作られる。

 氷の場合はクーロン力が強いので、個体の構造を維持する。水になるとクーロン力が弱くなり、気体になると水よりも弱くなりほとんど働いていない。

 陽子も電子も波というエネルギーの側面もあるので、クーロン力もエネルギーに作用している。つまり幽体のエネルギーにも作用する。


 電磁場も同じで、磁石のS極同士は反発し、S極とN極だと引き寄せ合う。電池のプラス端子(正極)とマイナス端子(負極)には電位差があり、これが電流を流す原因となる。低気圧と高気圧も引力として作用し、気流が低気圧に向かう。


 共鳴と引力の組み合わせによって人間関係も複雑になる。自我の周波数が違う者同士でも、寂しがりやで弱気な人が強気な人を頼りにし、強気な人にとっても頼られると自己肯定感が高まるので弱気な人と一緒にいる、というような依存関係や補完関係というパターンもある。


 エネルギーは波が重なり合った時に、違いを強め合ったり弱め合ったりする。人間関係でも相性が良い者同士は高め合い、その逆もある。またオーケストラのように異なる周波数や波長の楽器が混ざると、複雑な波形が生み出される。その周波数や波長が合っていれば心地よい音色となる。肉体はエネルギーが物質化したもので、幽体もエネルギーで、人間関係も周波数の合う合わないが根底にある。



エントロピー増大の法則


 エントロピーとは無秩序さや乱雑さを表す言葉。物事は外部からエネルギーが注がれないと秩序から無秩序へ向かう。つまりエントロピーは常に増大していく傾向がある。

 例えば食パンを放っておくとカビてくる。氷は放っておくと溶けてくる。綺麗に片付けた部屋もやがて散らかってくる。若い頃の肌は綺麗だが、時間とともに老化してくる。学校の授業が自習になると始めは静かに取り組んでいた生徒たちも、やがて騒がしくなる。運動をし続けないと運動能力は下がってくる。人間関係も適度に連絡をとっていないと疎遠になる。親が子供に愛情を注ぎ続けないと、心が荒んで非行に走り始める。警察が見張っていないと犯罪が増える。


 日々見られるこういった例から、秩序を保つには常に外部からエネルギーを注がないといけないのがこの宇宙の法則となっている。物質的なものも仕組みも、エネルギーが根本にある。つまりエントロピー増大の法則もエネルギーに作用する。

 手を加えなければ無秩序に向かうとわかっているから、人間は何かしらエネルギーをそこへ注ぐ。それが活動や交流となり、一つの経験ともなって学び、成長がある。これがなければ閉鎖的になった人間は自分の欲望に従うだけで、破壊的な方向へ向かう。幽体も外部とのエネルギー交換がなければ停滞していく。


観察者効果



 素粒子は観測すれば粒として振る舞い、観測しない時は波として振る舞う。人間の目だけではなくカメラや測定装置を置いているだけでも、その小さな光やエネルギーが観測対象に影響を与え、粒として振る舞う。この波の状態というのは、実際はどこに粒が存在するのかわからず、一定の範囲の中にいるという可能性で考えられている。それを観測することで、波のように広がった状態から一点の場所に確定される。これは観察者効果と呼ばれている。


 この観察者効果は人間生活でも共通点が見られる。観測する前の素粒子は可能性の場として存在し、意識して観測すると粒として確定する。人間生活でも意識しなければ、様々な未来の可能性があるだけ。しかし意識して1つの可能性を選ぶとそれが現実的に進む道となって確定する。例えば旅行する、起業する、就職するなど。つまり焦点を当てたものが現実になる。


 エントロピー増大の法則が秩序を失う傾向なら、秩序を与えるのが観察者効果となる。学校の自習中のクラスも放っておけば騒がしくなるが、先生が見ていると静かになり秩序が生まれる。人前に出ることがなければ服装も気にしなくなるが、人前に出ることになればファッションやメイクにもこだわり始める。観客がいる中で試合をした方が、選手はより高いパフォーマンスを発揮しようとする。


 観察するという意図があると、エネルギー的にも現実の生活にも無秩序へ向かう方向から、秩序へ向かう現象が見られる。




死後の多次元世界


 胎児の時に幽体が宿り、死の際に肉体から抜け出す。では死後幽体はどこに行くのか。少なくとも肉体から抜け出た直後の幽体は、一定期間この世界にいる。


 この宇宙のあらゆるものに黄金比やドーナツ型のエネルギー場が見られる。そしてこの宇宙そのものも、ドーナツ型でエネルギーが循環していると考えることもできる。そして幽体もドーナツ型で、感情エネルギーなどが循環していて肉体を覆っているという話だった。よってこの法則は幽体が集まる霊の世界、つまり幽界にも当てはまり、そこもドーナツ型としてエネルギーが循環した世界と考えられる。


 もう一つ別の側面としては、幽界は一つではなく周波数によっていくつも存在しているということ。それは地球の人間関係でもそうだが、共鳴・共振の法則によって自我エネルギーの周波数が同じような人たちが集まる。それは類は友を呼ぶ法則とも言える。だから残虐な周波数の人が集まる幽界、優しい周波数の人たちが集まる幽界などに分かれる。欲望・怒り・嫉妬・分離感など自我の重い幽体は同じ周波数の幽体を引き寄せ合い、対立や孤独が支配する地獄のような幽界を作り出す。思いやり・共感・喜びが強い自我の軽やかな幽体も同じような幽体を引き寄せ合い、天国のような幽界を作り出す。周波数が違う者同士が交わることはない。

 つまり死後、魂を裁く神様や閻魔様がいるわけではなく、この肉体次元と同じエネルギー法則によって、周波数の合う場所に自動的に引き寄せられていく。

 そうしてできる様々な幽界の人たちも未処理の感情があったり、地球で生み出した感情エネルギーの反作用を処理しておらず、再び生まれ変わることになる。


 生まれ変わるまでの間、幽界で何をしてるのかもこの世の傾向から考えてみる。例えば酒に酔うと普段は抑えていた欲望が前面にでてくることがある。それによって余計な一言を言ってしまったり、性欲が前面にでて大胆になる人もいる。また疲れた時は苛立ちやすく、ちょっとしたことに反応して失言をしてしまうことがある。他にも初対面の人の前では礼儀正しくするが、慣れてくると節度のない言動を見せることもある。


 通常は脳の前方にある前頭前野が、理性や社会的な振るまいをコントロールしている。そのため自制心が働き、節度ある行動をとって社会の中で生き残っていくために、ある種の仮面をかぶって生きる。それがアルコールや疲れ、慣れで自制心が緩むと幽体の素の言動が出てくる。暴力的で粗野な人間でも、やはり人の目を気にして多少は自制心が働く。20歳以下の若者は、前頭前野の成長が完了していないため衝動的な言動が多くなる。前頭前野による自制心がないと人は好き放題してしまい、人間社会は無秩序になる。


 世間を見回すと誠実で性格の良い人もいれば、性格が悪く残虐な人もいる。またどちらとも言えない段階の人もいる。つまり自我への囚われ度が軽やかな人から重い人まで混在している人間世界が秩序を維持するためには、前頭前野による自制心が必要となる。


 しかし死後、肉体を抜け出した幽体に前頭前野はない。酒に酔った人などの例からもわかるように、思ったことやりたいことを好き勝手にできてしまうのが幽体。自我の周波数に合わせた幽界に行くという話だったが、そこは自制心なく好きなようにできてしまう世界ということ。だから残虐な人はさらに残虐に振る舞い、優しい人はさらに人に分け与える世界となる。




量子場


 私たちがここからあそこへ行く時、普通の理解では人間があちらまで動いて移動していると考える。ただ量子場だと考え方が異なる。量子場とは先ほど例にあげた、海が量子場で、その水面に顔を出した魚が素粒子という説明部分。これをテレビゲームのスーパーマリオをしている時で例えると、マリオが画面左から右に行く時、画面の小さなピクセルの光る位置が変わっていき、マリオが移動しているように見える。つまり物質のマリオが実際に左から右に行ってるわけではない。

 別の例で言えば、10個のライトが横一列に並んでいたとする。一番左のライトだけが点灯していて、それが消えると一つ右のライトが光る。それが消えるとさらに一つ右が光る。これを右端まで続けると光が左から右に移動しているように見えるが、実際左端のライトが右まで移動したわけではない。

 これが量子場の素粒子の移動。さっきの海の魚の例に当てはめると、魚が水面に顔を出したときを励起(れいき)という。その魚が実はその位置にしかいなくて、移動するときは一つ隣の魚が励起する。遠くまで移動するとなると何百匹何万匹の魚が連続して順番に励起する。すると人間には1匹の魚が移動しているように見える。移動とはこの励起が場所を変えて連続して現れることで、これが素粒子の移動。


 これがテレビのように縦横の画面ではなく奥行きも加わり、さらに重さや熱、エネルギーなども超高精度に再現したのがこの宇宙であり人間の世界。さらに発展すると肉体には幽体も重なっているので、幽体も同じく励起によって再現されている。ということは幽界も励起によって再現されている。そう考えると、幽体にも量子場のように幽体場が存在し、すべて位置情報などによるシミュレーション映像と考えることができる。テレビ画面のスーパーマリオに実体がないように、この世界は量子場というスクリーンに写った立体映像と言え、幻想や霧のようなもの。


 そうなると幽体であれば、質量がなく重力の影響も受けないので、思ったところへ瞬間移動できる。実際には移動ではなく、位置情報によってその部分の場が励起して現れるだけ。人間が生きる宇宙は質量があり、移動には力を加えなければならず、時間もかかる世界なので瞬間移動ができない。


 世界中では亡くなった人が親しい家族や友人を訪れ、それに気づいたという体験談がある。日本でも命日や臨終のタイミングで故人が姿を見せるという例や、夢に現れるという場合もある。それも量子場なら自然であり、質量の影響を受けなくなった幽体がその場に励起し現れるということ。

 故人が夢に出てきてメッセージ的なものを伝えるというのも、夢の内容は記憶や思考のエネルギーが夢を形成している。そのため故人の幽体が寝ている人の幽体に思考や感情エネルギーなどを送れば干渉が起こり、意図的に夢に現れることが可能になるという原理。


 またこれで考えると、感情エネルギーの作用・反作用の法則も自然に理解できる。つまり発せられた感情エネルギーは発信者自身の位置情報を記録しており、そのため時間を超えても、発信者の位置で正確に反作用として出来事を励起させることができる。

 

 また日常生活で会っていない友人の顔がふと浮かんできた後に、その人から連絡が来るというようなこともある。これも友人の感情エネルギーが自分の場所で励起を起こしたため、自分もその友人を思い出す。


 物作りも同じで、幽界では情報の配置が基本となる。あそこに木を植えたいと思えば、位置情報を指定して、素材のエネルギー情報を選ぶ。これだけで即現れることになる。移動させるのも一瞬。これも街づくり系のテレビゲームのように情報の配置となる。幽界ではこうだとしても、人間世界ではこれに重力や時間などが加わる。よって家を建てようと思っても資材を運んできたり、それを組み立てたりで時間とエネルギーがかかる。


 幽界で大事なことは、どれだけ具体的に描けているか。曖昧なイメージでは曖昧な物ができあがる。これとよく似た現象は人間世界でも起こっている。例えば料理屋のチラシをデザイナーに頼んだ場合、あいまいな内容を伝えれば料理屋のコンセプトと違うデザインが返ってくることがある。監督の描くチームスタイルが曖昧なら選手の連携も悪くなり、チーム力も上がらない。設計図が曖昧なまま家を建てても、細部で柱の長さが違ったりデザインが違ったりして、質の高い家は建てられない。



時間感覚が異なる幽界


 幽界では時間感覚が次元によって異なる。人間は熱中する時、睡眠する時、瞑想しているときは時間感覚がなくなる。これは時間がない次元に触れている証拠とも言える。

 8時間睡眠しても一瞬に感じる。10分間瞑想をしても数分に感じる。楽しいことに熱中している時は時間があっという間に過ぎる。こういった時は無心になっている時間が多く、そのため時間感覚がない瞬間を体験している。言い換えると意識だけの次元では時間が存在しない。

 スポーツや芸術などでも同じことが起こる。例えばある日パソコンで音楽を作っていると、アコーディオンのメロディーが一瞬で頭に浮かんでいた。もしドレミファソラシドを組み合わせて一つずつメロディーを作っているなら時間もかかり、自分で考えたという感覚になる。しかしこの時は一瞬で完成形が浮かんでいた。つまり無心になり意識だけになると、アイデアが直感として瞬間的に現れる。

 もう一つの例として球技。例えばサッカーをしていて味方から自分にパスが届く前、相手がプレッシャーをかけてくる。その時にこう動けばマークをかわして突破できるというアイデアが直感的に浮かぶ。それに従うと成功する。この時も一つずつこうして次はこうしてと考えながらプレーしているのではなく、一瞬で一連のアイデアが用意されている。

 こうした短い完成形のアイデアが直感としてひらめくというのは、どんなスポーツや芸術にも見られ、そこには考えるような時間はなく、全てが一瞬で形作られる。多くの場合準備としてその手前ではたくさんのことを考えてはいるが、直感的なアイデアは一瞬。


 反対に苦しい時、退屈な時は時間が長く感じる。苦しいという思考が頭を巡り続けるため、無心になることがない。


 幽界には自我の周波数に応じてたくさん次元が存在するという話だが、自我が軽やかになると思考への囚われが減るため、その幽体が集まる次元になるほど時間感覚がゼロになり、全てが一瞬の世界となる。反対に自我の重い幽体が集まる世界は苦しみの世界で、時間も永遠に続くように感じられるということになる。それは欲、執着など思考が強いからで、直感を受け取りづらいため。
 そして時間がない幽界では子供や大人という概念はない。ただエネルギー体なので姿を自由に変えられるだけ。だから各幽体は自由に子供や大人の姿に選んでなる。


 またこの物理世界では過去にも未来にも行くことはできない。それは時間という制約があるため。しかし高次元になるほど時間がないため、過去も未来も同時に存在する。例えるならパソコンの前に座って、動画サイトで過去や未来の動画を視聴するような感じ。だから過去も未来へも自由に行き来でき体験できる。ただ作用・反作用の法則により、未消化の感情があればその動画に入っていき、反作用を受け取りにいかなければならない。そのためある動画で自分は母親を演じることもあれば、別の動画では戦士になっているかもしれない。

 また作用・反作用を送受信し合った仲間の幽体と共にある動画に入っていって、今回は家族として、別の動画では敵として演じるということも考えられる。人間も自ら成長しようと思えば自分で課題を決めて自主的に取り組むが、幽界でも反作用を解消するために、自分でテーマを決めて生まれ変わってくる。そうして作用・反作用のやり取りを繰り返しながら学び合い、自我を軽くしていく。


 過去や未来が同時に存在する幽界ということは、未来を読むことができるということになる。先程のサッカーの例でも、パスを受け取る前にマークをかわすため次のプレーが直感として浮かび、それに従うと成功するということだった。つまり相手がこう動くとわかっていることに対して、その直感がやってきた。つまりこの直感は短い時間軸の未来予知と言える。過去のパターンから次の動きを予測できるという側面も実生活にはあるが、ここではそういったパターンを把握していない相手に起こった出来事。


 人間の歴史には、古代から未来を見通す予言者や占い師がいた。現代でも街角の占い師が「あなたは将来こういう特徴を持った人と出会う」と予言して、それが当たることがある。また日常の光景を見て「この風景は前にも見たことある」などデジャヴが現れることもあるし、虫の知らせや胸騒ぎで、悪い予兆を察知することもある。これらの例も直感的に時間がない高次元から未来を読み取るため起こる現象と言える。だから頭で分析して予測する未来という感覚ではなく、ただ感じ取る。




自由意志か否か


 幽体には様々な記憶の種がある。それが外部からの揺らぎと結びつき、思考が頻繁に起こる。つまり自分の意思とは関係なく、思考が起こっている。思考の次に感情も起こり、それが反作用を生む。反作用もいつ返ってくるかわからないが、今この瞬間も過去の作用に対する反作用が返ってきている。それが揺らぎとなって新しい思考が起こる。

 そう考えると、仮に今もし「思考を止めて無心になろう」と決意したとしても、それも直前の何かしらの反作用という揺らぎがあったためで、それに対する反応。そう考えると人間には自由意志があるのかという問いが生まれ、結論的には未来というのは過去の反作用が連続して起こるものということになる。その繰り返しの中で直感というものが意識によってもたらされ、気づきを得て成長し、それが最終的には良い方向へ向かわせていく。

「自由意思かそうではないか」と考える思考も自我であり、無心になれば自由意志という概念もない。自我の視点に立てば自由意志による選択であり、意識として在り無心になれば自由意志はなく、ただ自然な流れに沿った反応にすぎないと言え、起こるべくして起こった。



話さなくても通じる幽界


 日本語に「気がつく」という表現があるように、人間には相手の感情や状況を一瞬で察する能力がある。それは幽体がセンサーとして相手の感情エネルギーを受信するため。つまり幽体同士の世界では、感情も一瞬で送受信できる。肉体がないので、これらの情報がすべてさらけ出される。肉体世界が本音と建前の世界なら、幽界は本音だけの世界。ただテレパシーや言葉を使うやりとりではなく、一瞬で感じる・気がつく・わかるという非言語のコミュニケーション方法。


 また死後は幽体の周波数に応じた幽界に行く。しかし恨み、悲しみ、欲望などこの世への執着が強いと、幽界へ行かず地球にとどまることになる。それは権力者が自分のポジションに居座るように。地球に居続ければ幽霊として目撃されたり、心霊写真に写るということになる。幽体が成仏するには執着している感情を手放す必要がある。


 幽霊は幽体のことなので、人間の感情エネルギーは幽霊に受信される。どんな宗教でも故人へお祈りやお経、感謝の念などを捧げる。言葉だけのありがとうよりも、心がこもったありがとうのほうが相手に伝わるように、故人への祈りも心がこもっているほうが相手に届くことになり、故人の幽体がそれを受信する。高い周波数は低い周波数に影響を与えることを考えると、この世に執着した幽霊や亡くなった直後の故人へも儀式としてお経を読むより、心のこもった感情を送ることが成仏の手助けになる。


 また故人へはお墓を立てて遺骨を埋めたりする。幽体の観点で見ると、骨、墓、仏壇に幽体はない。ただあの世とこの世をつなぐ気持ちの窓口としてや、形があることで故人を思い出したり、手間隙をかけることで感謝の念を表すという側面はある。

 幽界も宇宙も量子場で、波というエネルギー情報の世界なら、心を込めて感謝することが一番周波数の高いエネルギーを故人に伝える方法ということになる。




記憶


 心が無心の時に意識から直感がやってきて、幽体があるから思考や感情が起こる。つまり肉体、幽体に加え意識という側面がある。

 脳の額の裏は思考が浮かぶ位置だが、同時に直感を受け取る場所でもある。ここが思考でいっぱいになっていると、直感が入る隙間がなく受け取ることができなくなる。見方を変えると、幽体が意識と繋がり直感をやり取りする位置とも言える。


 幽体もそれ自体が生命として生きているのは意識があるため。意識がもっとも純粋なエネルギーで、自我を軽やかにしていくことの最終目的地が、この純粋な意識が本来の姿だったことを思い出し、その状態に戻ること。意識が綺麗な水なら、自我は濁り。自我が重くなるほど濁りがきつくなる。

 この三つがそれぞれ記録するものはなにか。それを下記にまとめた。


肉体

・DNAには親からの体質や性格傾向などの遺伝情報。

・筋肉には練習で身につけた運動技能。

・全身の神経には痛みや音など、刺激への反応パターンや条件反射。

・内臓には緊張や不安などストレス情報。

・免疫細胞には過去の感染や病原体情報と防御記憶。

・皮膚は触れた感覚、温度、刺激。


幽体

・喜びや苦しみなどの感情。
・出来事などの経験。

・目標、誓い、執着などの意思や願望。


意識

・宇宙や幽界も含めた全存在の情報。意識はすべてに接続する源。



記憶ゼロと精神性エネルギー場


 生まれ変わりがあるなら過去性の記憶があるはずだが、それを思い出せる大人はほとんどいない。稀に前世を覚えている子供の報告例もあるが、ほとんどが幽体の記憶場がゼロのまま誕生する。

 大人になり経験値も増えると、その知識が邪魔になって新しい事を学ぶ障害になったりすることがある。もし赤ちゃんがサムライの過去性を持っていたら、テクノロジーが発達した時代に適応して生きるのは大変になる。そういった意味からも記憶ゼロで生まれることは、新しい環境に適応するため必要なことに思える。

 この宇宙も幽界も情報によって成り立つ場の世界なので、パソコンのデータを一時的に別フォルダに保管しておくように、過去性の記録をコピペして別のところに保管しておくことはできる。反対に死後はそれを思い出すことも可能ということ。


 そして新生児は両親から遺伝子を受け継ぐ。おおよそは両親の容姿や性格を引き継ぐが、この時平均して約70個の突然変異がある。それにより突然頭の良い子供が生まれたり、運動能力が高かったり、反対にその逆だったりということも起こる。


 これに加え生活環境も影響している。胎児の時に親がストレスを多く受けたり、子供時代に親から適切な愛情をそそがれないと脳の発達に影響があり、ストレスへの反応が下手になり、過敏な反応をすることがわかっている。ネズミの研究でも、母親からの頻繁な毛づくろいを受けた子ネズミは、ストレス耐性が高くなりやすい。

 もし子供が虐待を受けた場合、それが記憶として強く刻まれ、大人になっても些細な刺激がきっかけで、ネガティブな反応を起こしやすくなる。反対に親の子供へのスキンシップが多いとオキシトシンという愛情ホルモンが分泌され、信頼感、共感力、ストレス耐性、記憶力も向上する。ホルモンは種類によって分泌される場所が異なる。脳では松果体など、喉では甲状腺など、胸、腹部ではすい臓など、腸、性腺では卵巣・精巣となっており、複数箇所から分泌される。


 また世の中には、自然に子供が寄ってくる大人とそうでない大人がいる。無邪気で、遊び心があって、柔らかさがあって、温かくて、コントロールしようとしない大人には子供が寄ってくる。反対に威圧感があって、怒りやすく、思考に縛られた大人には積極的に寄ってこない。子供は感覚で大人を判断しているが、これも幽体がセンサーとして働いている。大人でも無意識に、初対面の第一印象を感じ取る能力があるように。

 この例から考えると赤ん坊も幽体がセンサーとして、親などの感情エネルギーを無意識に受け取っている。それと同時に身体的な刺激も加わる。抱っこ、授乳、スキンシップ、一緒に遊んだり褒めたりすれば、そのポジティブな親の感情エネルギーが赤ちゃんの幽体で受信され、オキシトシンという愛情ホルモン、セロトニンという幸福ホルモン、ドーパミンというやる気ホルモンの分泌につながる。ホルモンは血液に乗って全身に送られ、脳や内臓などの特定の細胞に作用し、成長、感情、代謝、免疫、睡眠などの働きをする。


 反対にこういった要素がないと、適切な成長がなくなってしまう。それに加え大きな声、恐怖、怒り、虐待、育児放棄、過度な緊張が家庭内に常にあると、コルチゾールというストレスホルモン、アドレナリンという興奮ホルモン、ノルアドレナリンという緊張ホルモンが分泌されやすい体質になる。するとさらに脳の発達を阻害し、情緒不安定になり、集中力の低下など社会生活に支障が出る要素が大きくなる。これはストレスゼロが大事というよりも、ストレス後も回復できる安心環境が必要となる。


 親からの遺伝によって、子供の肉体的特性と性格的特性は親に関係はするが、あくまで傾向となっている。だから同じ親から生まれた兄弟姉妹でも精神性が極端に異なる例や、性格的に未熟な親から道徳的・精神的レベルが非常に高い子供が生まれる例もあり、親の教育とは関係なく幼い子供が道徳や善悪を深く理解していることもある。虐待を受けた子供はトラウマによって攻撃性などが強くなるとされるが、反対に精神的に目覚め、成熟する人もいる。通常、子供は親の性格傾向を模倣する傾向が強いが、親のようにはなりたくないと自ら人格形成を変えていく人もいる。

 ここに取り上げた例に共通しているのは精神性であり、それが幽体に備わっており、記憶ゼロで生まれてきても、精神レベルのエネルギー場が幽体にあるということ。それにより逆境の中からでも、人格的に健全に成長できる素質を持っていたりする。つまり幽体には思考、感情、記憶、精神性というエネルギー場があり、それが土台となって人生経験が影響し、自我の軽やかさや重さを決める。



肉体と幽体の接点



 ホルモンの分泌器官は大きく分けて脳、喉、胸、腹、下腹部となっている。ホルモンの分泌の基本的な流れは、感情が起こり、脳がそれを処理して、各分泌器官に適切なホルモンを分泌するよう指令を出す。その後、前頭前野が「この状況ではホルモンを出すのは控えよう」「落ち着こう」とブレーキや判断を下す。


 この例からも幽体と肉体の情報のやり取りが一番行われている接点は、脳ということになる。脳の役割は幽体の情報を肉体で表すための受信、翻訳、指令となる。


ストレス


 幽体の記憶エネルギー場は新しい記憶ほど表面にあり、昔のものほど奥へ移動し、何層にもなっていく。「ストレスが溜まっている」と人が言う時、「あの人がいやだ」「あんなこと言いやがって」「あれはもうしたくない」など、ネガティブな感情がこの表面を占めている。この低い周波数のストレスエネルギーによって、コルチゾールやアドレナリンなどそれに関わるホルモンが分泌され、身体にさまざまな影響やダメージをもたらす。人はこの不快感や緊張状態を、まとめてストレスと呼ぶことが多い。

コルチゾール(副腎皮質ホルモン)

・短期的には有益:エネルギーを確保する、炎症を抑えるなど。
・慢性的に高いとダメージ:免疫力の低下、血糖値の上昇(→糖尿病リスク)、骨密度の低下(→骨粗しょう症)、筋肉量の減少、脳(特に海馬)へのダメージ(→記憶力低下)、睡眠障害

 アドレナリン(副腎髄質ホルモン)

・闘争・逃走反応を活性化:心拍数増加、血圧上昇、筋肉への血流増加。
・慢性的な活性化で起こる問題:高血圧、心疾患リスクの増加、動悸・不安症状の悪化

 このストレスが中長期的に続くと、記憶エネルギー場の表層にはネガティブな記憶ばかりが占めることになる。するとホルモンが過剰に分泌され、脳などに機能異常を引き起こす。そして何をしていても楽しくない、何もする気が起きない、ちょっとしたことでも消耗、集中力の低下、自分を責める、価値がないと感じる、不眠、死にたい気持ちというように鬱(うつ)病の症状が見られるようになってくる。もしくは機能異常や自然な防衛反応としての逃避などがポジティブな記憶と結びつき、瞬間的にやる気や高揚感がもたらされ、いわゆる躁うつ(双極性障害)のような状態として現れることもある。


 一度コルチゾールなどのストレスホルモンが分泌されると、3〜6時間残存する。するとその間は思考も感情もネガティブに傾く。反対にセロトニンやドーパミンなどは思考や感情をポジティブに傾けるが、残存時間は20分前後。

 つまりできるだけ日々穏やかに気分良く過ごそうと思えば、ゆっくり呼吸することを5分ほど続けてみたり、朝起きて太陽の光を浴びたり、運動したり、動物と触れ合ったり、優しい言葉のやりとりをしたりとポジティブな行動を取り入れることが必要となる。その後ホルモンが分泌され、少し時間が経てば気分的に前向きになる。そしてネガティブな思考が浮かんでも、それに反応せず受け流すようにし、ストレスホルモンを分泌し過ぎないようにする。ホルモンが体に残存し思考と感情に影響を与えることから、瞬間的に気分を変えるというよりも、少しずつ変えていくイメージとなる。



 夢には知り合いが登場したり、前日に起こった出来事に関係した内容がでてくることがある。夢に記憶が混じってるということは、夢も幽体で作られていることになる。
 また日中の起きている時も記憶が元になり、未来への想像、思い込みや被害妄想など架空の物語が頭に浮かぶ。つまり幽体にある記憶エネルギーは静的な情報ではなく、自然に混ざり合い、結合し、自動的に物語を作る性質があるといえる。場合によってはAとFいう知識が接近し、新しいアイデアとなることもある。
 脳の前頭前野が「私」を認識するメタ認知を可能にする主な部分で、睡眠中はその活動が抑えられるので機能が制限されている。よって夢を見ている時は自分といううっすらとしたメタ認知はありながらも、夢の世界に入り込む。しかし目覚めと共に脳が活性化し、夢だったと認識する。
 夢も妄想も幽体が持つ物語生成の性質→脳が受け取って映像・言語に変換→体験という流れになる。


 また自我が強い人ほど、思い込みや被害妄想が強い傾向になる。自我が強い人は、幽体の中の「私」というイメージに執着する状態。その結果、過去の記憶が混ざって架空の物語(夢的な物語)をたくさん作ってしまい、それを現実と混同する。脳はそれを受信し、肉体側の反応としてホルモンを分泌し、違和感や不安が強まる。これが被害妄想のようになる。


肉体の性格、幽体の性格


 20歳くらいになると自我もある程度固まり、性格の穏やかな人・きつい人、控えめな人・攻撃的な人、賢い人・愚かな人、無欲な人・強欲な人など、様々な要素が組み合わさる。幽体が自我であり、そこで欲望の強さや攻撃性も決まる。


 幽体の自我エネルギーが強い人は強欲な傾向にある。ただ脳の前頭前野が発達していれば、犯罪にならないギリギリのラインの行動をとり、それで事業を行ったり、人間関係が築かれる。ものの言い方も脅迫や恐喝という犯罪にならない程度を見極めて発言し、相手をコントロールしようとする人もいる。これが前頭前野の発達が未熟な人の場合は、犯罪になるレベルで行い、逮捕される。

 例えば政治家という職業の場合、権力、社会的地位、特権、影響力、高給、名声など、自我が喜ぶステータスが並んでいる。ただ長く続けているうちに政治家の中にも高圧的なものの言い方や賄賂など、慣れとともに自制心が弱まり欲望が前面にでてきて、失職や逮捕されることがある。

 反対に自我が軽やかな人の場合、前頭前野が発達していれば、そもそも欲が少ない上にモラルもあるので脅迫などせず、多くを求めようとしない。仮に前頭前野が未熟だとしても欲が少ないので強欲な行動にでることがなく、問題行動につながることが少ない。


 まとめると幽体は自我そのものの強さだが、脳がそれに制約を与える関係となっている。脳があるから人間は、社会の秩序を守ろうとして行動をする。


自我・前頭前野=性格タイプ

自我の重さ

前頭前野の力

性格タイプ・特徴

軽い

強い

誠実な人、安心感のある人、精神性が高い人、人格者系リーダー、人に先に与えるタイプ

軽い

弱い

悪い人ではないが、空気が読めなかったりやや浮いているタイプ

重い

中程度

威圧的な上司、マウンティング系の人

重い

強い

いじめっこ、独裁者系リーダー・経営者・政治家、マイルドサイコパス、人から先に奪うタイプ

重い

弱い

犯罪者、犯罪組織、攻撃的な人、サイコパス




 この自我は人相としても現れる傾向がある。例えば自我が軽く、前頭前野が強い人は穏やかな顔つきになる。反対に自我が重くなるにつれ怒りと攻撃性が増し、目つきがするどくなり、眉毛もつり上がり、眉間にシワのあとがついている。こうして幽体情報は顔に彫刻のように刻まれていく。




瞑想


 感情的な囚われが多いと自我が強くなり、苦しみも増える。思考は誰にでも突発的に起こるが、一人で静かにしていると心の中を観察する時間になる。つまりこの内観をすることで、自分が一体何に囚われているのかや恐れているのかを観察し、理解できる。その囚われをさらにさかのぼって行くと、過去の体験が引き金になっていたりする。そうして理解を進めていくと、感情的に反応する必要がなかったりすることに気づけ、手放していくことができる。


 このように一人で心を静かに座れば、瞑想をしているということになる。そして浮かんでくる思考に反応せずただ観察する。時間が経過するにつれ前頭前野の活動が弱まってくるとリラックスした状態に入り、自分という思考も弱まって落ち着いた状態になってくる。そうして感情的な反応を抑制したり、衝動をコントロールする能力が強化される。これを定期的に行う瞑想は、前頭前野を発達させることが科学的にも確認されている。例えば脳の神経細胞が集まった部分の灰白質の厚さが増加したり、脳が経験や環境の変化に適応して構造的に変化する神経可塑性(かそせい)も高める。そして脳波が変化し前頭前野の働きを活性化させて、集中力や自己制御が高まることもわかっている。瞑想は幽体と肉体の両方に効果がある。


 例えば感情の種を感覚的に理解している指導者Aさんは、あえて教え子Bさんが怒り出す未解決の感情部分を挑発して刺激する。するとBさんは怒り出す。Bさんも無意識に反応し怒っている。そこで愛情あるAさんはその瞬間に、未解決の感情があることをBさんに伝え気づかせる。その後Bさんがそれについて内観することで、未解決の感情が解消されるということがある。


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