第2章 都市国家と貨幣の始まり
◯メソポタミア文明の国家成立の過程
紀元前5000〜4000年頃、ティグリス川とユーフラテス川の流域(イラク南部〜シリア東部)の肥沃な三日月地帯の一部に、農業に適した環境があった。定住農耕が始まり、食糧生産の増加で人口も増加する。
定住を始めると、肥沃な耕地や灌漑用の水源が貴重になり、生存と繁栄に直結するため隣接集落間で小規模な争いが頻発。村や集落を守るために、武装した戦士や防衛組織が形成され始めた。そして堀や柵、土塁など防御施設を築く。戦争は単なる略奪だけでなく、集落間の勢力均衡や同盟形成、社会階層の発展にも寄与。武力の重要性が増すことで、後の王となる指導者の権威が強化される。
村が集まり大規模な都市へと発展し、紀元前3500年頃以降ウルク、ウル、ラガシュなどの都市国家が誕生。各都市は自立した政治・宗教機構を持ち、それぞれ独自の王や神官が支配。都市は城壁で囲まれ、ジッグラトと呼ばれる神殿を中心に宗教的権威が強かった。王は軍事指導者・宗教的代表者の両方の役割を持つことが多かった。そして農業の管理、灌漑設備の整備により経済的基盤を確立。
紀元前3000〜2500年頃、強力な王が周辺の都市や村を征服・同盟し、より広域的な支配を確立。紀元前2300年代のアッカド帝国のサルゴン王は、メソポタミア全域を統一した最初の人物として有名。アッカド帝国成立により、多民族国家の原型ができる。そして官僚制度や楔形文字の発達により、税・労働・軍事の管理が強化される。
◯初期の秤量貨幣
紀元前3000年以降、メソポタミアを中心に国家による労働・資源管理システムとして貨幣的要素が発達し、これが他地域にも影響を与えた。初期の貨幣は物々交換の代替ではなく、国家による徴税・労働管理の道具として発生。例えばメソポタミアの秤量(しょうりょう)貨幣は市場で自由に使うものではなく、書記官が粘土板に「○○が△日働いた → 支給予定:大麦□□量」と記し、月末や収穫期などの決まった時期に、粘土板の記録をもとに秤で穀物や銀を量って支給する秤量貨幣だった。
紀元前1600年頃の古代中国の殷(いん)では、タカラガイを使った貝貨(ばいか)が始まる。これは地域間の物々交換を円滑にするための共通単位で、農作物、布、家畜などの物品と交換した。結婚、葬儀、祭祀の際の贈与、財産や地位の象徴としての役割、貯蔵して後で必要に応じての使用や、財産の保存手段としても機能した。これは地域の市場や儀礼で使われる自然発生型貨幣で、国家が保証していたわけではなかった。中国の貨幣は時代と共に貝貨(ばいか) → 刀貨(とうか) → 布貨(ふか) → 丸銅貨(まるどうか)と変化していく。紀元前221年の秦(しん)の時代からは、丸銅貨への国家刻印によって価値保証が本格化される。
世界最古級の金属コインは、紀元前600年代のリディア(トルコ西部)で始まる。材料は金銀合金で、重量と純度で価値を明示。国家や王による刻印と価値保証があった。これは市場流通に特化した貨幣で、国内外の商取引、租税の支払い、軍給与の支給に使用された。
メソポタミアのジッグラトと呼ばれる神殿複合体は、神殿+倉庫+行政センターとして機能していた。つまり祈りの場としての宗教施設だけではなく経済計算センターでもあり、数字で社会を動かす仕組みを持っていた。労働、価値、交換、貸し借りといった要素を記録・計算・管理していた点で、2020年代の中央銀行と似ている。ただし、神の権威を背景にした古代と、法律と制度をベースにした中央銀行とでは信頼の根拠が異なる。
メソポタミアの神殿複合体と現代中央銀行の機能比較
◯雇用の始まり
貨幣の誕生とともに「人を雇う」という労働関係が、体系的に広がり始める。貨幣以前の労働形態は、主に自給自足のために家族単位や共同体内で生産活動が行われていた。
それが貨幣の登場によって貨幣が交換の媒介となり、労働の対価を明確にできるようになる。官庁や神殿、商人が労働者を賃金(貨幣)で雇う形態が登場。メソポタミアの粘土板には、建設工事や農作業の労働者に対する麦や銀による賃金支払いの記録が残っている。
こうして労働力の売買が始まり、都市国家の大規模プロジェクトや交易に必要な専門労働者が組織された。これが雇用という概念の始まりとなり、労働市場の原型となる。
雇用形態の制度化も進み、神殿の最初の公務員システムも誕生する。
⚫︎土地付与を伴う長期職務任命制
神殿の書記官は土地の付与を伴い、生涯にわたり雇用された。
⚫︎請負制
灌漑工事などの大規模事業では、「1プロジェクト単位」で労働者を募集し、成果に応じて報酬が支払われた。
⚫︎奴隷労働
戦争捕虜などの奴隷にも食料、衣料、あるいは銀のような価値を持つものが支給された記録がある。
◯税の始まりと軍
定住型の農耕社会が始まった紀元前9000年頃、まだ都市も国家もない時代に狩場・水・女性などをめぐって部族間の争いが起こり、戦士的役割の者が出現。ただし、常設の軍隊、職業軍人は存在しなかった。戦闘はあくまで一時的・自衛的なもので、戦士と農民の区別はなかった。
そしてメソポタミア文明で軍隊・王権・官僚制度が誕生する。この王権と軍隊を維持するための制度として税は誕生した。
文明に共通する徴税システム
どの文明でも、王権・神殿・軍など国家の支配機構の維持に税が必要だった。国家とは基本的に支配する者(王・貴族・神官)と支配される者(農民・庶民)にわかれる。そのため組織化された国家では、税なしはほぼ存在しなかった。
国家は定住する人々が住む場所であり、定住農耕が始まると資源略奪戦争が起こるため防衛のための軍が必要になった。軍隊には 食糧・武器・兵士の訓練・移動手段が必要となるため、軍を持つと税は必ず必要となった。つまり、軍隊が生まれると同時に税制度も必然的に生まれた。
税の3つの基本形態(古代〜現代)
◯農村的労働と都市的労働
農業革命後の農村社会では、農村的労働として自給自足の生活が営まれていた。しかし紀元前3500年頃に都市革命が起こってメソポタミア文明など都市国家が誕生すると、そこへ都市的労働が加わる。
農村的労働は基本的に家族単位の自給自足で、社会の基盤となる食料と日用品を支える。都市的労働は組織的で専門的、国家や神殿の権威の下に動員され、賃金や配給が制度化されていた。両者は経済と社会の異なる側面を担い、文明の発展に欠かせない役割を果たした。こういった都市国家の農民・労働者は給料に完全依存ではなく、食べ物、織物、陶器などの日用品の自給自足と公的労働の半々に近い暮らしをしていた。
農村的労働と都市的労働の比較
◯貨幣導入によって起きた問題
古代に貨幣が導入されたことにより様々な問題が起こるが、それは2020年代でも起こる。
古代と現代の貨幣導入による問題の構造的類似
古代から2020年代まで、文明が変わっても貨幣が中心の経済社会では 「支配層の富集中」「非保有層の自由制限」「共同体の弱体化」 という構造的パターンが繰り返される。つまり、時代や表面的な制度は異なっても、貨幣社会に特有の構造的課題は不変となっている。
◯格差
メソポタミア文明でも収入格差による分離や、階層ごとの関係の制限は明確に存在していた。メソポタミアでは明確な階級社会が存在しており、王族・神官・役人→商人・職人→農民・奴隷と分かれていた。
王や神官は装飾品・服装・住居・食事から明確に格が見えた。農民や奴隷はそれにアクセスできず、生活の場や行動の範囲すら異なり、日常生活の多くの場面で分離が見られた。
子どもの遊びや教育は主に同じ階層内で行われ、階層を越えた交流は限られていた。結婚は階級を超えては基本的に行われず、富裕層は持参金制度で、さらに結びつきの制限が生まれた。神殿への捧げ物や祭礼でも、階級に応じた貢献が期待されており、信仰ですら格差の影響を受けていた。
初期メソポタミアではまだ貨幣制度は発達しておらず、物納(大麦・家畜など)や労働力が価値の単位だった。しかし、労働力を他人に依存できる層(地主や神官)と、自分が直接働くしかない層(農民・奴隷)との間には、明らかな生活・行動・交友の分離があった。
メソポタミアの約1750年頃のハンムラビ法典には、同じ犯罪でも階級による刑罰の違いの記述が見られる。
⚫︎第196条:「もし貴族が貴族仲間の目を損なったら、彼らは彼の目を損なわなければならない」
⚫︎第198条:「もし彼が平民の目を損なったか、平民の骨を折ったなら、彼は銀1マナを支払わなければならない」
⚫︎第199条:「奴隷の目を潰したら、奴隷の価格の半分を支払う」
またメソポタミアのシュメールやアッカド、ウル、ウルクなどの都市遺跡から、都市の中心部(ジッグラト近く)に神官や上流階級の広く立派な住居群があり、郊外に職人や農民の狭く質素な住居が密集していた。奴隷の居住区はさらに劣悪か、主人の敷地内に付属していた。
紀元前2600年頃のウルの王族の墓には金製品、ラピスラズリ、銀製の武器・食器などが副葬されていた。一方、一般人の墓には土器や木製の簡素な品だけだった。これは明確に経済格差が死後の扱いにまで及んでいたことの証拠であり、当時の社会構造が分離的だったことを示している。
さらに労働記録・賃金・配給について粘土板文書では、神殿経済を中心に労働者へ支払われた大麦や油、衣服などの給与が記録されている。そこでは階級により支給量や種類が異なる。例えば熟練労働者は大麦30リットル/日、奴隷は10リットルなど。
支配階級がいると格差が生まれる。それは、支配階級が食料・土地・資源など富を優先的に取得し、命令権・特権を持ち、労働の成果を取り上げる側に立つという構造のため。
こういった構造は歴史の中でも一貫して見られる現象となっている。
メソポタミアのような初期文明でもすでに、富や労働の格差、同じ階層どうしで集まる傾向、生活と人間関係の分離が構造的に存在していた。それは貨幣が登場する以前から起きていた現象で、つまり貨幣が既存の格差を加速させた。こういったことは貨幣の導入 → 格差が加速 → 階層化 → 生活圏が分かれる → つきあいの分離 → 偏見と差別、という形で進む。この格差は時代を超えて2020年代でも見られる
2020年代、貨幣がもたらす分離のメカニズム
2020年代では格差が広がることで、次のような問題が見られる。
格差が広がることで起こる主な問題
経済的格差が生まれると、同じ収入レベルの人々が同じ地区に住むようになる。それが途上国だとスラム化し、先進国だと貧困地区になる。ただデンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランド、アイスランドの北欧諸国のように、住宅政策や教育・医療・社会保障制度が充実している場合はスラム化・貧困地区化を回避できる例もある。
スラムと貧困地区の比較
2022年には世界人口の半数以上が都市に居住し、都市人口のおよそ約25%の11億人がスラムに住んでいる。アフリカの国々のように急速な都市化で住宅供給が追いつかない途上国の都市は、スラム化が進みやすい。
スラムに住む都市人口の割合(2000年から2022年)
https://ourworldindata.org/grapher/share-of-urban-population-living-in-slums?tab=line&country=PHL~CMR~CUB~BRA~ETH~ZMB~ZAF~TCD~MMR~BGD~IND~OWID_WRL~JPN~USA~NOR
日本、アメリカ、ヨーロッパでスラム化がほとんど起きない理由は、途上国と比べて住宅・都市政策や社会制度が整備されていることが大きな要因。
スラム人口が多い地域(2022年)
出典:United Nations Statistics Division (UNSD). 2024. Sustainable Development Goals Report 2024: Goal 11 – Sustainable Cities and Communities. Available at: https://unstats.un.org/sdgs/report/2024/Goal-11/
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