第2章2 都市国家と貨幣の始まり:文明の繁栄と衰退のパターン

身分制度


 狩猟採集社会や初期の農耕社会でも、年齢、性別、能力、役割(狩猟担当、採集担当、子育て担当など)によって人々の間に役割分担があった。これは社会的な序列や区分の基礎となる。そこから文明が発展するに従って身分制度も制度化されていく。

身分制度の発展過程

段階

時代・社会

主な特徴

身分制度との関係

宗教の役割

① 役割分担の始まり

狩猟採集社会〜初期農耕社会

年齢・性別・能力による自然な分担(例:狩猟・採集・育児)。

流動的な役割分担。固定された階級はまだ存在しない。

精霊信仰や自然崇拝が主で、階層性は小さい。

② 指導者・祭司の出現

定住農耕社会

余剰食料の管理や儀礼・天候予測などを担う祭司・首長層が登場。

権威と役割が結びつき、社会的序列が始まる。

祭司が宗教的権威を持ち、社会秩序の核となる。軍事指導者や管理者の役割も重要だった。

③ 身分の制度化

文明の成立(例:メソポタミア、エジプト)

王権と神権の結合。貴族・神官層・庶民など階層が明確化。

世襲制や法制度により身分が固定される。

王や支配者が「神の代理人」として、エジプトでは「神そのもの」

として正統性を得る。

④ 貨幣と経済格差の拡大

商業文明・都市国家(例:フェニキア、バビロニア)

貨幣の導入で富の蓄積が進み、経済的格差が顕著に。

財産が地位を決定し、階層がさらに硬直化

富や成功を「神の祝福」と捉える宗教観が格差を正当化

⑤ 奴隷制と職業差別の制度化

古代帝国・都市国家(例:ローマ、インド)

奴隷や下層民、特定職業の差別が制度化・永続化。

法・宗教・文化によって差別が固定される

インドのヴァルナ制では、宗教が身分制度を神の意志として正当化



◯売春・娼婦


起源と古代(紀元前3000年頃〜紀元後500年)

 都市文明の発展とともに売春制度が登場した。最古の記録は古代メソポタミアの神殿娼婦(紀元前3000年頃〜)で、楔形文字史料により神殿制度の存在が確認されている。イシュタルはメソポタミア神話において広く尊崇され、愛と性の女神として神殿での性的儀礼を司り、イシュタルの神殿では神聖娼婦が勤めを果たしていた。

 またギルガメッシュ叙事詩でもエンキドゥの獣性を鎮めるために神殿の娼婦を派遣した記述がある。古代ギリシアでは高級娼婦(ヘタイラ)が政治・文化的影響力を持ち、初期は神事・芸能・知的活動と一体化した宗教的・社会的制度だった。古代ローマではメレトリクスが都市の娼館や路上で職業娼婦として活動していた。

中世の変化(500年〜1500年)
 キリスト教の影響で表面的には禁忌とされたが、実際には都市の発展とともに世俗化・職業化が進行。1096年〜1291年の十字軍や商業の発達により、宗教的色彩が薄れ、より経済的な取引として位置づけられるようになった。

貨幣経済での転換点(1500年〜1760年頃)

 大航海時代(1500年頃〜)と商業革命により、売春は完全に商品化される。港町や商業都市で急速に拡大し、従来の宗教的・文化的意味合いは失われ、純粋に経済活動として確立された。

産業文明時代(1760年頃〜)

 1760年頃の産業革命により都市人口が急増し、売春は大規模産業となった。資本主義の発展とともに組織化され、1990年代からのインターネット普及によりオンラインプラットフォーム化、匿名性向上、リアルタイムの映像配信、VRなどのバーチャル性風俗、援助交際やパパ活などへ形態が変化し、グローバルな経済システムの一部として機能する。


 このように売春制度は都市文明の成立 → 宗教的・社会的制度 → 世俗化 → 商品化 → 産業化 → デジタル化という流れで複数の要素が並存・競合している。古代メソポタミアでは神への奉仕という宗教的側面が始まりだったが、貨幣経済の発達とともに純粋に「お金を稼ぐ」手段へと変質した。


数学と文字の発展


 古代文明で数の概念が生まれ、貨幣制度の導入とともに商業や科学技術が発展していき、その過程で数学も発展していく。

時期(西暦)

主な出来事

数字の役割・発展の特徴

科学・数式の発展例

紀元前9000年頃〜
農業革命

石・骨・刻み目で数量記録

家畜・穀物など物品の数を記録、数の概念の芽生え

計算技術の基礎

紀元前3000年頃

メソポタミアで楔形文字の数字

農作物・労働・税の記録、六十進法の確立

記数法の発達、平方根の近似計算。六十進法は時間(60秒、60分)や角度(360度)に影響を与えた。

紀元前650年頃

リディア王国で金属貨幣の誕生

売買・税額・利子計算に不可欠、計算術の整備

商業計算術

紀元前400〜紀元前100年

ギリシャ・ローマで数学理論化

測量・商業計算・建築に利用

平面や空間の図形・性質を論理的に扱うユークリッド幾何学

紀元前500年〜200年


中国で算木と十進法

計算用具の発達と十進法の確立

算術技法の発達

300〜900年

マヤ文明で二十進法とゼロ記号

ゼロの記号と二十進法の発達

独自記数体系の確立。マヤ文明に貨幣はなく、物品交換が中心だった。ただカカオ豆など準貨幣的な物品も使用。

500〜600年

インドで「0」と位取り記数法確立

計算効率が飛躍的向上

現代記数法の基礎、負数の使用開始

800〜900年

イスラム圏で代数学発展

アル・フワーリズミが代数学の基礎を確立

代数学の誕生

1100〜1500年

ヨーロッパでアラビア数字普及

帳簿会計・商業数学の発展

フィボナッチ数列、三角法、代数学の広まり

1600〜1800年

ルネサンス〜近代初期

商業数学書・利子計算・保険計算

ニュートン・ライプニッツの微積分、確率論の萌芽

1800〜1900年

産業革命と国際金融

高等数学・統計・経済学に発展

数学解析・確率論・物理方程式の体系化

1900〜2000年

工業化・情報化社会

数値解析・暗号理論

相対性理論・量子力学数式体系、コンピュータ科学基礎

2000年以降

デジタル通貨・AI計算

暗号技術・高速演算

ビッグデータ解析、機械学習、量子コンピューティング、ブロックチェーン技術


 数学と同時に文字も誕生し、発展していく。


古代文字の起源と現代への進化

時代・地域

古代文字名

特徴・用途

進化・現代の言語・文字体系

紀元前3500年頃 メソポタミア

楔形文字

粘土板に刻む。交易・行政記録などに使用。

消滅。後の楔形文字派生は滅亡し、現代文字体系には直接つながらない。ただ文明の記録文化の礎となる。

紀元前3200年頃 エジプト

象形文字(ヒエログリフ)

神殿壁画や石碑に刻む神聖文字。

消滅。ただエジプトの牛の象形文字(アレフ)がフェニキア文字を経てギリシャ文字になり、そこからラテン文字の「A」が生まれる。

紀元前2600年頃 インダス文明

インダス文字(未解読)

印章に刻まれた絵文字。用途不明。

解読不能。直接の現代文字体系への影響なし。

紀元前1400年頃 中国

甲骨文字

占い用の亀甲・骨に刻む。漢字の祖。

漢字→現代の中国語、日本語の漢字、韓国の漢字文化(歴史的)、ベトナムの古文書に影響。

紀元前1100年頃 フェニキア

フェニキア文字(アルファベットの祖)

子音のみの表音文字。商業に適する。

ギリシャ文字→ラテン文字→英語、フランス語、ドイツ語など西洋言語に。またヘブライ文字・アラビア文字へも分岐。

紀元前300年頃 インド

ブラーフミー文字

インド最古の体系的表音文字。サンスクリット語などの表記に使用。

多くのインド系文字(デーヴァナーガリー、タミル文字など)に発展。サンスクリット語は古典語として文化的影響大。



 数学と文字の発展は様々な分野に貢献する。

分野

貢献内容・具体例

農業・測量

土地の面積計算や灌漑施設設計に必要な幾何学的計算

商業・経済

貨幣計算、利子計算、帳簿会計、保険料算出、リスク管理

建築・土木

建物や橋の設計、構造計算、材料強度の計算、図面作成

天文学・暦法

天体の運行計算、暦の作成、時間や季節の予測

物理学

力学、運動方程式の理論化、波動・光学・熱力学の数学的解析

工学・技術

機械設計、電気回路解析、制御理論、自動化技術

統計学・確率論

データ解析、社会調査、疫学、経済モデル、ギャンブルやリスクの数学的解析

情報科学・暗号

コンピュータアルゴリズム、データ圧縮、暗号技術、通信理論

人工知能・機械学習

パターン認識、最適化アルゴリズム、ビッグデータ解析

金融工学

デリバティブの価格評価、リスクヘッジ、資産運用モデル

教育

論理的思考力の養成、科学技術教育の基盤



◯封建制と移動制限


 貨幣導入前の農村では物々交換、贈与、再分配が中心。生産も消費も地域内でほぼ完結する地産地消だった。しかし農村が集まって都市国家が形成され、そこへ貨幣が導入されると商業活動が活発化し、その中心地に市場、港、街道が集まり、さらなる人口集中を促す。その周囲に行政・宗教施設、職人街が形成される。農村=生産地から都市=交換・分配・統治の拠点への分化が進む。税や徴兵制度が貨幣単位で整備され、中央集権化が進む。
 つまり貨幣が導入されると交換・分配の効率性が飛躍的に上がり、自然に都市化が進行しやすくなる。それでもそもそもの人口の少なさや、高い乳児死亡率、輸送技術の制約、疫病による人口減少などで人口の増加は緩やかなものだった。


 しかしここに産業革命で蒸気機関車などの科学技術が加わると、人と物の量と移動の速度と距離が一気に伸び、商業活動がさらに活発化し、医療体制も整備され寿命も伸びる。すると人口増加と都市化が一気に進んでいく。

 しかし古代からの都市は、都市化のスピードもかなり抑えられた時期だった。その背景の一つには、古代~中世にかけては絶対的権力者による支配と移動制限、中世以降では封建制による移動制限がある。


 封建制とは、君主が直接すべての征服した土地と人民を管理するのは広大すぎて不可能だったため、君主が諸侯(領主)に土地の支配権と人民の統治権を与えるもの。交換条件として諸侯は軍事的援助や税・貢物を君主に提供する。これは土地を基盤にした上下関係と相互義務、地方分権的な構造。
 中国の周王朝や、日本の鎌倉〜江戸時代、ヨーロッパの中世など、場所によって形は違うが、基本的には土地と忠誠のやりとりで成立する地方分権的支配制度。


 なぜ封建制度が都市化を緩やかにしたのかというと、領主ごとに自給自足型経済が基本となるため。生産物は領地内で消費され、外部との取引は最小限。貨幣は存在しても主に領主間の取引や贅沢品の購入に限られ、庶民の日常生活では依然として現物交換が中心。商業依存が低かった。そして農民は領地に縛られ、無断で他領へ移住することは基本的に禁止。逃亡農民は領主の資産の損失と見なされ、捕まえられて元の領地に連れ戻される。都市への移住は許可制か、年季奉公終了・身代金支払いなど一定条件を満たす必要があった。また軍事・治安上の理由から、関所や港で通行証を確認される制度が多くの地域で存在した。

 こうして自由に都市へ移住できないため労働力の流動性が低く、都市人口の自然増が限定的だった。また街道や港湾の安全が保証されないため長距離商業は危険でリスクが高く、商業都市の発展が局所的になった。都市は存在しても領主の城下町・商業都市などに人口は集中し、限定的だった。
 貨幣導入は都市化の土台とはなるが、封建制・移動制限などの社会制度と街道の治安によって都市化を抑えることになった。古代から1800年頃までの移動制限はその典型で、貨幣はあるが都市人口は増えない特殊な時期だった。

絶対的権力を持つ支配者の古代専制国家における移動制限

地域・時代

ヒエラルキー構造(上位 → 下位)

移動制限

メソポタミア(バビロニア)

前1800年〜前500年

王 → 神官・貴族 → 自由民 → 債務奴隷・奴隷

自由民は理論上は移動自由だったが、土地を離れると生活基盤を失うため、移動を制約されることが多かった。

エジプト(古王国〜新王国)

前2686年〜前1077年頃

ファラオ → 神官・貴族 → 書記官 → 農民・奴隷

書記官による人口登録と労働割当。ナイル川氾濫期は国家事業への強制動員。

ペルシア帝国(アケメネス朝)

前550年〜前330年

王 → サトラップ(総督) → 地方官 → 農民

征服民を故郷から強制移住させ帝国各地に分散配置。移住先での定住を義務化。

中国(秦朝)

前221年〜前206年

皇帝 → 郡守 → 県令 → 農民

什伍制(じゅうごせい)で5〜10戸単位の相互監視。無許可移住は連座制で処罰。通行証なしの移動は禁止。

インカ帝国

1438〜1572年

皇帝 → 地方総督 → 村長 → 農民

一般農民の移住は皇帝の許可制だが、共同体から離れると生活基盤、社会保障、宗教的つながりを失うため移住は極めて困難。

アッシリア帝国

前911年〜前609年

王 → 地方総督 → 地方官 → 農民・捕虜

征服地の住民を強制的に帝国各地へ移住。移住先では厳格な監視下で定住を強制。



土地縛りによる移動制限の例

地域・時代

ヒエラルキー構造(上位 → 下位)

移動制限

中国

(秦漢〜唐代)

前221年〜907年

皇帝 → 郡県長官 → 里長 → 農民

戸籍制度により農民は登録地に固定。無断移住は処罰対象。

インド

(グプタ朝以降)

300年〜1200年

王 → ザミンダール(地主) → 村長 → 農民

カースト制と村落共同体により移住が制限。異なるカースト地域への移住は困難。

ヨーロッパ中世

800年〜1500年

国王 → 諸侯 → 騎士 → 農奴

農奴は領主の許可なく領地を離れられない。逃亡農奴は捕らえられ連れ戻される。

日本

(江戸時代)

1603年〜1868年

将軍 → 大名 → 代官・庄屋 → 百姓

百姓の他国移住は原則禁止。関所制度と五人組による相互監視で移動を統制。

ロシア

(農奴制時代)

1649年〜1861年

皇帝 → 地主貴族 → 村長 → 農奴

1649年法典により農奴は土地に法的に縛られる。売買・移転は地主の権利。ただこれ以前から事実上の土地縛りは存在。

オスマン帝国

(ティマール制)

1400年〜1700年

スルタン → ティマール保有者(騎兵) → 村長 → 農民

ティマールとは軍役と引き換えに与えられる土地の徴税権。軍役義務を負うティマール保有者が農民を管理。領地外移住は制限される。


 移動制限が導入された背景には土地と労働力の確保がある。古代から中世にかけての農業社会では、土地の生産性を維持するために農民が土地に定着することが重要だった。農民が自由に移動すると、土地の耕作が滞る恐れがあった。
 また支配者の利益として税収の確保があった。支配者は安定的な税収を必要としていた。住民が自由に移動すると税を徴収しづらくなるため、移動を制限することで税収を守ろうとした。
 さらに人口移動が活発だと犯罪や反乱のリスクが高まる可能性があるため、治安管理・社会秩序の維持のため統制が必要とされた。関所や通行証の導入はこの観点からだった。兵士の逃亡も防止する意図があった。
 そして領主や支配階級は自分の権力基盤を守るため、農民や労働者を土地に縛り付けて支配を強化した。これにより社会的階層が固定され、移動制限が強化された。


 古代から中世の都市人口については現代的な人口調査が存在せず、次の表の都市人口は考古学的証拠や断片的な文献記録からの推定。移動制限という制約があっても貨幣の導入により、都市の人口は数十万人から100万人単位まで増加した。もし移動制限がなければさらに拡大していた可能性があるということになる。

古代都市の最大人口(推定)

都市名

地域

最盛期

推定最大人口

備考

ウルク

メソポタミア

前3000年頃

4〜6万人

世界初の大都市、城壁に囲まれた最初の都市

メンフィス

エジプト

前2600年頃

3〜5万人

古王国の首都、ピラミッド建設の拠点

バビロン

メソポタミア

前600年頃

20〜50万人

ネブカドネザル2世時代、城壁都市の典型

アテネ

ギリシア

前430年頃

25〜40万人

ペリクレス時代の黄金期、市民は約4万人

アレクサンドリア

エジプト

前100年頃

40〜60万人

ヘレニズム期の学術・商業中心地

長安

中国

前漢(前100年頃)

25万人

漢王朝の首都、厳格な戸籍制度下

ローマ

イタリア

100-200年

100〜150万人

古代世界最大の都市、帝国の首都

洛陽

中国

後漢(100年頃)

50万人

東漢の首都、官僚制による人口管理

コンスタンティノープル

ビザンツ

500-600年

40〜50万人

東ローマ帝国の首都

長安

中国

唐代(750年頃)

100万人

唐王朝最盛期、世界最大級の計画都市

バグダード

イスラム

800-900年

100〜150万人

アッバース朝の首都、「平和の都」

カイフェン

中国

宋代(1100年頃)

100〜150万人

北宋の首都、商業都市として繁栄

杭州

中国

南宋(1200年頃)

100万人

南宋の首都、「地上の楽園」と称される

江戸

日本

1603年〜1868年

100万人

江戸幕府の政治経済の中心。



 これが産業革命後、技術や交通手段の発達により、人々が通勤・通学圏を拡大できたため、都市の影響範囲が物理的に広がり、都市圏人口が急増した。都市圏人口の定義は国や調査機関によって異なるが、都市圏というのは中心都市だけでなく周辺の衛星都市や郊外、通勤圏を含む広い範囲の人口を指す。



2020年代の大都市の人口

都市名

国・地域

都市圏人口の推定(約)

備考

東京

日本

約3700万人

世界最大の都市圏で首都圏を含む。

デリー

インド

約3200万人

急速な都市化が進むインドの首都圏。

上海

中国

約2600万人

中国最大の都市。経済・金融の中心地。

サンパウロ

ブラジル

約2200万人

南アメリカ最大の都市圏。

メキシコシティ

メキシコ

約2200万人

北米最大級の都市圏。

ニューヨーク

アメリカ合衆国

約2000万人

世界有数の経済都市圏。

カイロ

エジプト

約2050万人

アフリカ最大の都市圏。

ムンバイ

インド

約2200万人

インド第二の大都市。

北京

中国

約2200万人

中国の首都。政府の政治中枢。

ロサンゼルス

アメリカ合衆国

約1300万人

広域な大都市圏。


 こういった例から都市+貨幣で都市化が進み人口も増加していくが、都市+貨幣+移動の自由が重なると、都市化と人口増加が加速する。


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