◯貨幣制度が存在しなかったインカ帝国
貨幣があると都市化が進み、貧富の差が広がる一方となる。ではインカ帝国のような貨幣が存在しない社会システムの統治方法はどうだったか。インカ帝国は、貨幣を使わずに国家主導で社会全体を運営するという特異で高度な仕組みを持っていた。これは歴史上最大規模の貨幣を用いなかった国家。
インカ帝国の規模と特徴
なぜ貨幣なしで機能したのか
「インカ帝国の仕組みが機能した面」
インカ帝国には貨幣の流通がなかった。代わりに、すべての財や労働は国家が管理・配分する体制。経済は、労働と物資の再分配によって成立していた。また税の一種でミタという労働義務を課す制度があった。成人男性は一定期間、国のために働く義務があった。例えば道路・橋の建設、農地の整備、神殿建築、軍務など。その報酬は貨幣ではなく、衣食住の保障や国家による支給物資で支えられた。そのため全国に数千のコルカと呼ばれる巨大な国家倉庫を整備。そこに穀物(トウモロコシ、キヌアなど)、衣服(アルパカ毛など)、武器、農具、塩、薬草などを保管していた。そして干ばつや災害時には、国家が備蓄を各地に配給する。これにより、飢餓や路上生活者が存在しない社会が実現していた。
インカ社会の基礎単位は、血縁や地縁に基づいた共同体アイユだった。土地は国家が所有し、共同体ごとに用途別に分配された。例えば太陽神殿の土地(国家宗教)、インカ皇帝の土地(国家運営)、農民の土地(自給用)のように。そこで各アイユが協力し、互いの農作業を助け合う伝統も継続された。
その中で老人・障害者・孤児には労働義務が免除され、共同体が養った。国家主導で建築・農業・工芸が行われ、失業という概念が存在せず、犯罪や強盗の発生率が極めて低かったとされる。
強固な中央集権は一方で柔軟な現地統治も併存し、地域ごとの事情をある程度反映できた。
またインカ帝国の双分制(そうぶんせい)では、国全体をハナン(上)とフリン(下)の2つに分割。さらにそれぞれを2つに分割して、ハナン→2つの地域、フリン→2つの地域の計4つの地域に分ける。さらにそれぞれ2つに分割して8地域にする。また8地域それぞれを2つに分割して16地域にする。こうして2で割り続ける国家システムをとった。これは上下関係ではなく対等な2つで、国→地方→村まで一貫して2分割。さらに各レベルに2人の首長を置く。2人の首長の権限に若干の差はあるが、決してリーダーとサブリーダーではない。こうしてアイユ内の地域や組織も二つに分け、それぞれに首長をおき、全体として首長が二人いる双分制(そうぶんせい)が行われた。
これにより1人に権力が集中することを防ぎ、意思決定における相互チェック機能が働き、独裁や専制を構造的に回避した。
また2人の首長が協議することで即座の決定を避け、時間をかけて議論を継続。より慎重で包括的な判断が行われ、異なる視点からの検討が可能となり、コミュニティ全体の合意を得やすかった。これにより対立する利害を調整する仲裁機能や共同体の結束力が向上した。 また1人の首長が病気・死亡・不在でも統治が継続でき、後継者争いも回避でき世代交代がスムーズだった。これは権力の集中を避けながら効率的な統治を実現する仕組みだった。
こういったインカ帝国は固有の文字を持たなかったので、結縄(けつじょう)という縄の結び目で人口・労働・物資を記録していた。これはキープと呼ばれ、キープカマヨクという専門の官僚が数万人規模で情報を管理を行っていた。こういった統治は中央集権的でありながら、現地レベルでは柔軟な対応ができた。
結果として貨幣なしで物資と労働が流通し、生活の安定と格差の少なさが保たれた。そして格差・飢餓・失業・浮浪(ふろう)がほぼ皆無という希少な文明となった。ただ中央権力が非常に強く、労働の強制性が高い社会でもあった。
「環境負荷が低かった」
インカ帝国の環境負荷が低かった理由は、その自然と調和した循環型社会の仕組みにある。
⚫︎アンデネスという急斜面を利用した階段状の畑で土壌流出を防ぎ、水はけと日当たりを最適化。耕作地を拡大しながら、山岳地帯の生態系を破壊しなかった。
⚫︎標高差を活用し、キヌア・ジャガイモ・トウモロコシなどの多品種を地域ごとに適応栽培。単一作物の大規模農場と違い、土壌疲弊や病害リスクが低かった。
⚫︎リャマ・アルパカなどの家畜は荷運び・毛・肉として利用され、過剰放牧を避ける管理が行われた。そのフンは肥料として再利用され、完全な資源循環が実現。
⚫︎国家が全生産物を管理し、必要以上の収穫を強制しなかった。市場経済がないため、利益追求のための過剰開墾・乱獲も発生せず。 コルカ(倉庫)に備蓄することで、不作時の緊急支援が可能になった。そして無駄な備蓄競争もなかった。
⚫︎ミタ制度で労働力を灌漑整備や治水など公共事業に集中投入。 それにより洪水・土砂崩れなど自然災害への予防的整備が行われ、環境破壊の後始末が少なかった。
「インカ帝国の問題点・限界」
インカ帝国は完璧な社会だったわけではなく、問題点・限界もあった。各地の統治は、皇帝(サパ・インカ)を頂点とするピラミッド型官僚体制で動いていた。国家があらゆる資源・労働・土地を管理しており、中央集権が非常に強固。これは統治が効率的である反面、自由な経済活動・地域の自律性が極めて制限された。
他にも、インカ皇帝を太陽神の子としての神格化と国家宗教により、信仰や文化は統制された。被征服民は、自らの宗教・風習を捨て、インカ帝国のケチュア語や制度に従うことを求められた。従わない民族や反乱の兆候があった集団は強制移住(ミトマク制度)により分断された。
そして貨幣や市場が存在せず、経済活動が国家によって一元管理されていたため、商業・金融の動機が乏しかった。高度な石造建築(マチュピチュ)、灌漑システム、寒冷地農業(チヌア栽培)など精緻な農業や土木技術は発達したが、車輪や鉄器、書記言語などが未発達だった。ただこれは異なる方向性の発達だったと言える。
インカ帝国の仕組みは持続可能性と格差の少なさという点では学ぶべき部分が多い。ただここでは自由や多様性が犠牲となった。
◯古代スパルタ(ギリシャ)
紀元前9世紀頃~紀元前4世紀後半に存在した軍事国家スパルタは、市民のほとんどが国家からの配給や物々交換で生活していたため、貨幣の使用頻度はかなり低くかった。生産労働はすべてヘイロタイという被征服民の農奴に近い奴隷に担わせ、スパルタの男性市民は戦いと訓練に専念していた国。貨幣の使用は対外取引や例外的な場合に限られた。そのためオベロスと呼ばれる鉄の棒を使用しており、これは貨幣というより価値尺度だった。また金銀貨を完全に排除していたわけではなく、対外取引では使用していた。食事・住居・服装はすべてにおいて質素。日本語の表現で、厳しく教育する時に使うスパルタの語源でもある。
古代スパルタの特徴
貨幣に依存しなかったスパルタではあったが、戦士としてふさわしい少数だけを市民とする制度や過酷な生活・軍事・少子化によって人口減少が進行し、社会内部の不安定化が強まる。それにより軍事力低下が加速し、外敵の侵攻に対応できなくなった。
◯ローマ帝国
貨幣がなかったインカ帝国や貨幣を抑制したスパルタとは対照的に、積極的な貨幣経済の発展を推進した文明がローマ帝国。
ローマ帝国は紀元前753年~西ローマ帝国滅亡(476年)まで約1200年、東ローマ帝国滅亡(1453年)まで含め約2200年間存続した古代最大の帝国。最盛期(100年代)には地中海世界全体とヨーロッパの大部分を支配し、人口約5000万~6500万人を擁した巨大国家。ローマ帝国は史上初めて帝国規模での統一貨幣制度を確立し、貨幣を通じた経済統合と政治的権威の象徴化を実現した。
ローマ帝国の統治形態
ローマ帝国における統一通貨の導入は、社会・経済・政治に大きな影響をもたらす。
235年〜284年の約50年間には、3世紀の危機と呼ばれる経済面でも深刻な混乱があった。これは単一の原因ではなく複合的要因によるもの。
ローマ帝国の3世紀の危機
こうしてお金の価値が低下し、物価が高騰するインフレは、格差拡大→社会不安→抗議活動・暴動と続いていく。インフレは2020年代にも起こっており、貨幣社会とは切れない関係。
ローマ帝国と2020年代のインフレの例
ローマ帝国の貨幣危機と2020年代の金融問題には類似した構造が見られる。インフレ含め他にも次のような共通点がある。
ローマ帝国と2020年代の共通点
2000年前のローマと2020年代の貨幣社会に起こる問題は、本質的に変わっていない。
◯インフレ
古代中国もローマ帝国と類似し、財政難 → 紙幣(貨幣)過剰発行 → 物価上昇 → 社会不安 → 生活困窮→ 反乱を招いた。これは財政負担・戦争コストなどが直接的に物価を押し上げたため、コストプッシュ型インフレとなる。
中国各王朝のインフレ
またまた中世イスラム世界やイタリア都市国家のインフレは、通貨の信用失墜ではなく、外部からの貴金属流入や経済活動の拡大による自然な物価上昇。「お金が増える速度 > モノが増える速度」になると必然的に物価が上がるのは、買う人がたくさんいるのでモノの値段が上がっても売れるため。
また戦争費・都市開発など、国家財政の支出増も物価を押し上げる要因となる。戦争では武器、食料、馬、衣服などを大量に必要とし、都市開発では建材、労働力を大量に必要とする。つまり政府が大量購入者になって買う人がたくさんいる状態になるので、価格が上昇する。また戦争では兵士として動員される人が増える→働く人が減る→残った労働者の賃金上昇が起こり、都市開発では建設現場で働く人が必要→他の分野から労働者を引き抜く→全体的に賃金上昇が起こるため、ディマンド・プル型インフレとなる。
中世イスラム世界やイタリア都市国家でも、物価上昇により都市民・農民の抗議や地方反乱、デモや暴動が発生した。
中世イスラム世界のインフレ
イタリア都市国家のインフレ
0 コメント