第3章1 産業革命後:文明の繁栄と衰退のパターン

 

◯農村から都市への移住が加速

 1760年〜1840年ごろイギリスで起こった産業革命によって、蒸気機関・紡績機などの機械化で繊維産業が発展。工場労働が爆発的に増加し、農村での自給自足的な生活から都市の賃金労働へと、人々の働き方や生活形態が大きく変わった。この流れはやがて世界的に広がり、農村にいた多くの人が仕事を求めて都市へ移動し、都市人口が急激に増加した。この急速な人口移動は、産業革命以前の緩やかな移住とは異なり、社会や経済の大きな構造変化に伴うものだった。
 同時にこの産業革命は封建制の経済的・社会的基盤を弱体化させ、結果的に封建制の崩壊を促進した。ただし、地域差が大きく、革命や法改正が伴わないと長く残る場合もあった。

都市人口が急速に増加した理由

理由

内容の要点

工場労働の急増

機械化・工場生産の普及で都市に賃金労働が増加

農業効率の向上

農業生産性アップで農村の労働力が余剰化

経済的誘因(ゆういん)

都市の賃金収入で生活向上を期待

交通・通信の発達

鉄道や道路の整備で移動が容易に

社会・法制度の変化

封建制度緩和などで自由に移動可能に



 また産業革命による蒸気機関車の発明は、人や物の量、移動距離、速度を飛躍的に伸ばした。それまでの地域内完結型の経済活動から、地域間・遠隔地間をつなぐ経済圏へと拡大した。これにより地域でしか消費されなかった農産物や物資が遠方の市場へも流通可能となり、遠方で貨幣収入を得ることができるようになる。そして物流の拡大が商業機会を生み出し、それが事業や資本の拡大に繋がる。結果として都市化が加速し、貨幣経済や市場経済が社会全体に浸透した。



◯社会主義・共産主義


 貨幣が導入されると蓄財が可能になり、貧富の差が広がり、支配者の権力が強くなる歴史があった。では共産主義や社会主義のように利潤追及や蓄財を制限する社会制度の場合はどうか。
 1848年にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの共著として「共産党宣言」が発表された。これは共産主義の基本的な理念や歴史的役割を示し、労働者階級の団結と革命の必要性を訴える政治宣言。
 共産主義は最終的な理想社会であり、国家や階級、貨幣や私有財産が完全に消滅した状態を指す。社会主義はその前段階であり、生産手段を社会全体で所有・管理しながらも、まだ国家が存在し、経済活動や分配のために貨幣を用いることがある。ただし、利潤追求や資本蓄積は制限され、平等な富の分配を目指す段階。この社会主義段階で労働者階級が権力を握り、共産主義へと移行するための準備を進めるとされる。1917年にソビエト連邦の成立が最初の国家レベルの実施例。


 共産主義を実現した国は存在しないが、社会主義を名乗る国は数多く存在した。ただ提唱者カール・マルクス達の本来の思想と、現実の社会主義国の間には大きなずれがあり、ほとんどが不平等な分配を行う独裁国となった。

マルクスとエンゲルスの社会主義と独裁国家の社会主義

観点

マルクスとエンゲルスの社会主義

独裁国家の社会主義

基本理念

生産手段の共有は、労働者自身が民主的に管理・運営し、国家機構による中央集権的支配を介さず、階級の消滅を目指す社会。権力の分散と労働者自治を重視。

すべての生産手段を国家が所有し、経済活動を中央で統制することによって、社会全体の利益を実現する。実態としては権力集中と国家主導の管理体制が特徴。

政治体制

労働者による民主的な自治(協同組合型)。

一党独裁、トップダウンの統治。

権力

国家は一時的手段で、共産主義の世界では消滅する前提。

国家が恒常的に強化・恒久化。

目的

自由・平等・連帯の実現。

抑圧・統制・恐怖政治が横行。

労働

労働者階級が民主的に自治を行い、協同組合や地域共同体などで話し合いながら仕事内容や役割分担を決める。トップダウンではない。

国家の中央計画当局や共産党の官僚が国全体の労働力配分計画を策定し、各地域や産業に割り当てる。労働者個人の希望はほとんど反映されず、国家や党の指示に従うトップダウン。

経済モデル

生産物は各人から能力に応じて、各人の必要に応じて分配。

中央集権的な配給経済だが、不足・汚職が常態化。

貨幣

貨幣は最終的には不要になると想定されている。社会主義から共産主義への過渡期においては限定的に存在し、利潤追求の道具とはみなさない。

貨幣は存在し続けるが、実質的には国家が配給や賃金を管理し、経済活動は国家に強く依存する。

給料

能力に応じた労働の対価は存在するが、最終的には各人の必要に応じての分配へと移行することを想定。

一律または階層に応じた給与体系が存在し、国家が賃金を決定。賃金差は限定的か形式的で、官僚や党幹部が優遇される場合が多い。

格差

資本家階級が消滅し、労働者階級が主導するため、極端な貧富の差や社会的格差は解消されていく。

国家権力・党幹部・官僚が富や資源を独占し、一般市民との間に明確な格差が生じる。


 これまでの社会主義国の成立パターンは、次のようなパターンが見られる。

社会主義国家の成立パターン

成立パターン

説明

主な事例

革命による体制転覆型

資本主義・封建制への強い不満(格差・抑圧)を背景に、共産主義勢力が革命を起こし政権を掌握。

・ロシア(1917年十月革命)

・中国(1949年中華人民共和国の成立)

・キューバ(1959年キューバ革命)

戦争や占領による体制導入型

他国による軍事占領や影響下で社会主義体制が導入される。

・東ドイツ・ポーランド・ハンガリーなど(第二次大戦後、ソ連の影響で社会主義化)

独立運動の中で採用型

植民地支配や帝国主義への反発から独立運動が起こり、社会主義思想が導入される。

・ベトナム(ホー・チ・ミンによる独立戦争と建国)

・アンゴラ、モザンビーク(アフリカの反植民地闘争)

軍事クーデター・内戦型

内戦や軍事衝突の中で社会主義政権が成立。権力集中が早期に進む。

・ラオス(内戦後に共産勢力が政権獲得)

・ユーゴスラビア(パルチザン闘争勝利後)

合法選挙による選出型(少数)

共産党・社会主義政党が選挙で勝利し、徐々に体制転換(ただし長期政権化・独裁化)。

・チリ(1970年にアジェンデ政権が誕生 → 1973年にクーデターで崩壊)


社会主義国家の成立の共通背景

要因

内容

社会的不満

貧富の差、支配階級への不満、農民・労働者の困窮。

戦争・危機

外国の侵略・内戦・経済危機が体制変革の引き金となる。

イデオロギーの拡大

マルクス主義・レーニン主義が、正義・平等の思想として広がる。

国外支援

ソ連や中国からの軍事的・経済的支援により成立が加速されるケースもある。


 ただ1900年代、多くの社会主義国家が誕生しては崩壊した。またほとんどの社会主義国家が独裁体制となった。

社会主義体制 崩壊・転換国一覧

国名

地域

社会主義体制の時期

独裁体制と政権名

崩壊・転換の理由

ソビエト連邦

東欧・ユーラシア

1917〜1991

独裁(共産党一党独裁)

経済停滞、民族独立運動、ゴルバチョフ改革失敗

東ドイツ

東欧

1949〜1990

独裁(社会主義統一党政権)

民主化要求とベルリンの壁崩壊、西ドイツとの統一

ポーランド

東欧

1947〜1989

独裁(ポーランド統一労働者党)

「連帯」運動、教会支持、市民デモ

チェコスロバキア

東欧

1948〜1989

独裁(チェコスロバキア共産党)

ビロード革命による平和的政権崩壊

ハンガリー

東欧

1949〜1989

独裁(ハンガリー社会主義労働者党)

民主化宣言、複数政党制移行

ルーマニア

東欧

1947〜1989

独裁(チャウシェスク独裁)

強権支配への反発、民衆反乱・処刑

ブルガリア

東欧

1946〜1989

独裁(ブルガリア共産党)

穏やかな改革、指導者辞任

アルバニア

東欧

1946〜1991

独裁(ホッジャ独裁、アルバニア労働党)

孤立、貧困、民主化要求

ユーゴスラビア

東欧

1945〜1991

権威主義的連邦制(チトー→後継者なき連邦制)

民族対立、内戦、国家解体

モンゴル

アジア

1924〜1990

独裁(モンゴル人民革命党)

民主化運動、ソ連支援停止

カンボジア

東南アジア

1975〜1979

独裁(クメール・ルージュ=ポル・ポト政権)

大量虐殺、ベトナム軍の侵攻

南イエメン

中東

1970〜1990

独裁(イエメン社会党)

経済困難、北イエメンとの統一

アフガニスタン

中央アジア

1978〜1992

独裁(人民民主党→共産政権)

ムジャヒディンの抵抗、ソ連撤退

エチオピア

アフリカ

1974〜1991

独裁(メンギスツ政権/軍事社会主義)

飢饉、内戦、独裁崩壊

アンゴラ

アフリカ

1975〜1991頃

独裁(MPLA政権)

内戦→和平、経済自由化へ

モザンビーク

アフリカ

1975〜1994

独裁(FRELIMO政権)

内戦→和平・複数政党制


崩壊した社会主義国家の共通点

項目

内容

経済の非効率性・停滞

中央集権的な計画経済により、生産・分配が硬直化。
労働意欲の低下(成果と報酬が連動しない)→ 生産性の低下。

技術革新や競争原理の欠如→ 国際競争力の喪失。

慢性的な物資不足やインフレ、配給制度の限界。

政治的自由の抑圧

一党独裁体制により、言論の自由、報道の自由、政権批判が不可能。

秘密警察や監視体制による恐怖政治(例:ルーマニア、旧ソ連)。

政治的な閉塞感と国民の不満が蓄積。

社会の閉塞と腐敗

官僚主義の肥大化、特権階級の形成。

不平等の拡大(建前は平等だが、実際は特権階層が優遇)。

青年層の将来不安と国外への憧れが強まる(特に東欧で顕著)。

外圧・国際環境の変化

冷戦の終結やソ連の弱体化によって、社会主義陣営への援助が停止。

ベルリンの壁崩壊や東欧での連鎖的な民主化(ドミノ効果)。

資本主義経済圏との経済格差・情報格差が拡大。

民族問題・分離独立運動

多民族国家では、中央による画一支配に対する民族的反発が拡大。

例:ソ連(バルト三国、中央アジア諸国)、ユーゴスラビア(内戦)



 多くの社会主義国に共通する典型的な崩壊のプロセスは次のようになっている。

順序

崩壊プロセスの段階

内容説明

1

経済の停滞・生活の困窮

計画経済の非効率性で物資不足や生活水準の低下が進む。

2

市民の不満と民主化運動

学生、労働者、知識人などが中心となり、政治改革を求める運動が活発化。

3

統治側の改革(緩和・自由化)

政府や党が一定の自由化や改革を試みるが、結果として統制力が弱まる。

4

政治体制の崩壊

選挙の自由化やクーデター、民衆反乱などにより、旧体制が崩壊。

5

一党支配の終焉→複数政党制・資本主義へ移行

一党独裁が終わり、多党制民主主義と市場経済体制へと移行する。


 2020年代では中国、北朝鮮、ベトナム、キューバは共産党による一党支配を維持しているが、経済体制においては資本主義的な要素を取り入れている。 ただし、政治的自由・表現の自由・政権批判の自由などは厳しく制限されている。


現代における社会主義国の体制比較表

国名

名目上の体制

実際の経済体制

補足

中国

社会主義(中国共産党の一党支配)

市場経済+国家統制(社会主義市場経済)

1978年以降の改革開放で資本主義的経済活動を導入。国営企業と民間資本が共存し、都市部では競争経済が活発。

北朝鮮

主体思想を基盤とした社会主義(朝鮮労働党の一党支配)

一部市場化(非公式経済や闇市含む)

計画経済が基本だが、国民の生活維持のため非公式市場(チャンマダン)が事実上容認されている。

ベトナム

社会主義(ベトナム共産党の一党支配)

社会主義指導のもとでの市場経済(ドイモイ政策以降)

1986年のドイモイ改革で民間企業・外国投資・市場原理を導入。経済成長著しく、外資誘致にも積極的。

キューバ

社会主義(キューバ共産党の一党支配)

計画経済+限定的市場要素

国家が経済の中心だが、2010年代以降、一部の民間ビジネスや観光産業の自由化が進む。外貨経済が重要。


 社会主義国家でも崩壊した国と継続している国の主な違いは次の通り。

崩壊した国との主な違い

崩壊した国

崩壊しなかった国

硬直的な経済計画に固執し、改革が遅れた。

経済改革や市場経済導入で成長を促進。

政治的抑圧はあったが、改革の波に耐えられなかった。

強力な情報統制と警察力で政権維持。

冷戦終結後、外部援助や影響力が急減。

一部は国際関係を活用し、外交的な立場を強化。

民族問題・社会不安が深刻化し統制困難に。

民族統制やイデオロギー教育により内部統制。


 独裁国家でも崩壊ていない国とした国、両者を比較すると、国民にどれだけ経済的自由度があるかも一つの要素と見えてくる。


社会主義国家の経済的自由度の比較表

分野

2020年代でも崩壊していない独裁国家

崩壊した国

経済活動

中国: 1978年改革開放以降、起業や私有財産を部分的承認(土地は国有)。


ベトナム: 1986年ドイモイ改革で民間企業・株式会社制度を制限付き導入。


キューバ: 2010年代以降、小規模ビジネス(パラダール等)を許可制で容認、以前は国有化が原則。


北朝鮮: 1990年代の飢饉後に非公式市場(ジャンマダン)が自然発生、黙認されるが公式には私的商業禁止。

東ドイツ: 私的商業活動は全面禁止、経済は国家統制。


ソ連: 個人的経済活動は「投機」として禁止、1980年代ペレストロイカで一部緩和。


ポーランド: 1970年代まで私的企業を厳格制限、1980年代に部分的自由化。


チェコスロバキア: 手工業を含む経済活動を国有化、個人事業はほぼ禁止。

職業選択

中国: 1978年以降、職業選択の幅が拡大(国有企業や党員は優先)。


ベトナム: 1986年以降、外資系企業や民間企業への就職が可能。


キューバ: 2010年代以降、観光・サービス業で民間雇用解禁、選択肢は限定的。


北朝鮮: 職業は国家割り当てが原則、選択の自由は特権層に限定。

東ドイツ: 国家が職業配置を決定、個人の選択はほぼ皆無。


ソ連: 労働配置を国家が統制、フルシチョフ以降都市部で一部選択余地。


ルーマニア: 特殊職や昇進に党の許可が必要、自由は制限。


ハンガリー: 1968年経済改革以降、専門職に一部選択の自由、統制は緩和傾向。

居住・移動

中国: 戸籍(フコウ)制度で都市移住を強く制限、1980年代以降一部緩和。


ベトナム: 1990年代以降、国内移住の自由化が進展。


キューバ: 2013年以降、国内移住制限を緩和、居住地選択は限定的。


北朝鮮: 国内移動は旅行証で厳格統制、平壌居住は特権層限定。

東ドイツ: 居住地は国家決定、ベルリンの壁で西側移住禁止。


ソ連: プロピスカ制度で居住地・移動を厳格統制、許可が必要。


ブルガリア: 都市移住を制限、地方統制が強い。


アルバニア: 国内移動も許可制、1970年代に特に厳格。

文化・表現

中国: 1980年代以降、娯楽・ファッション・音楽が多様化(政治的表現は検閲)。


ベトナム: 1990年代以降、西側文化(音楽・映画)を部分的受容。


キューバ: 2010年代以降、芸術・音楽の創作自由度が向上、政治的表現は制限。


北朝鮮: 文化統制が厳格、K-POP等は密輸で流入するが摘発対象。

東ドイツ: 西側文化を遮断、党の検閲下で文化活動統制。


ソ連: スターリン時代は創造性抑圧、フルシチョフ以降一部緩和。


ポーランド: 芸術作品に厳格検閲、1980年代に部分的自由化。


ユーゴスラビア: 多民族文化を奨励、西側文化(音楽・ファッション)の受容が可能。

対外関係

中国: 1980年代以降、海外旅行・留学・ビジネス渡航を制限付き許可。


ベトナム: 1990年代以降、外資企業との取引や海外出稼ぎが可能。


キューバ: 2010年代以降、観光客との接触や海外渡航を限定的に許容。


北朝鮮: 中国との貿易は維持、人的交流は党・軍関係者に限定。

東ドイツ: 西側との接触禁止、1970年代和解政策で家族訪問を限定的許可。


ソ連: 外国人との接触を監視・制限、1980年代後半に一部緩和。


ルーマニア: 海外渡航は党の許可制、ほぼ不可能。


カンボジア(ポル・ポト期): 1975-1979年の完全鎖国、外国人接触皆無。

情報アクセス

中国: インターネット普及(グレートファイアウォールで検閲)、外部情報は制限。


ベトナム: 2000年代以降、外国メディアに部分的アクセス、インターネット普及。


キューバ: 2010年代以降、国際通信・インターネットを段階的開放、制限は継続。


北朝鮮: 情報統制が厳格、外部情報(中国系含む)は密輸で流入、摘発対象。

東ドイツ: 西側メディアを遮断、党のプロパガンダ優先。


ソ連: 情報統制徹底、外国放送は妨害対象、ペレストロイカで緩和。


チェコスロバキア: 外国放送受信禁止、1968年プラハの春で一時緩和。


アルバニア: 外部情報ほぼ遮断、1960-70年代の中国同盟期に限定的流入。



 経済的自由が崩壊を防ぐ決定的要素ではないが、中国・ベトナム・キューバのように崩壊していない独裁国家は共通してある程度の経済的自由を与えながら、党の強力な統制を維持している。経済的自由→成長→生活水準の向上→不満の緩和へとつながる。

 崩壊した国は自由の余地をほぼゼロにしたことと、その他の要因が絡み合い最終的に国民の不満が爆発した。完全統制は持続不能、部分的自由は延命・適応可能という構図になる。

 北朝鮮は経済・移動・文化の厳格統制など崩壊した国並みの低自由度だが、貧困層が多数を占め、密告文化、厳格な社会的制裁、「外部は敵、指導者は絶対正義」というプロパガンダによる洗脳、反乱を起こせる中産階級の不在に加え、中国・ロシアの経済・軍事支援、核開発による抑止力、国際的孤立戦略が体制崩壊を防いでいる。


 歴史的にほぼ全ての社会主義国は独裁国家となっている。また独裁者にとって強制的な方法で国民を支配しようとすると、一つの国に民族多様性が存在している状態では反乱が起こりやすくなる。よって独裁国家には民族浄化、民族抑圧が行われることが増え、疑わしい民族集団に対して厳しい措置が取られることもある。

社会主義国家における民族浄化・強制移動・抑圧が見られた例

内容

ソビエト連邦 (1941-1944年)

クリミア・タタール人、チェチェン人、カルムイク人などへの強制移住。スターリン時代に反乱疑惑や民族統制を理由に数十万人をシベリアや中央アジアへ送致。死亡率20-40%。

アルバニア (1944-1950年代)

ギリシャ系住民への財産没収、強制移住、監視強化。ホッジャ政権下で実施。

北朝鮮 (1945年-2020年代)

韓国系や日本統治時代関連の民族への思想統制、強制収容所運営。2020年代に政治犯収容所に10-15万人収容。

ユーゴスラビア (1945-1980年代)

コソボのアルバニア人やボスニアのムスリムへの民族均衡政策の一環として、自治制限や文化的抑圧、強制移住(1950-60年代)。

中国 (1950年代-2020年代)

チベット、新疆ウイグル、内モンゴルの少数民族に対する文化弾圧、思想教育キャンプ、強制移住。新疆では2017年以降100万人以上収容。

キューバ (1960-1980年代)

反体制派、宗教的少数派(エホバの証人など)、同性愛者を農村労働キャンプ(UMAP、1965-1968年)に送致。

エチオピア(デルグ政権) (1974-1991年)

オロモ族、エリトリア人への赤色テロ(1976-1978年)、農村再定住プログラムで約60万人を強制移住。

ベトナム (1975-1990年代)

南ベトナムのカトリック教徒やチャム族への同化政策・再教育キャンプ、文化的制限。約10万人が影響。

カンボジア(クメール・ルージュ) (1975-1979年)

都市住民、少数民族(チャム族、ベトナム系)、知識人へのジェノサイド。約170-200万人が死亡。

ラオス (1975-1990年代)

モン族など少数民族に対する再教育キャンプや強制移住。約3万人が影響。



共通の背景・特徴

⚫︎多民族国家では中央の画一的支配への抵抗を抑えるため、民族浄化や強制移動が行われた。
⚫︎一党独裁と中央集権のもと、異なる文化・宗教・言語を持つ少数民族は同化政策や弾圧の対象となることが多い。

⚫︎体制維持や反乱防止のために思想統制や強制収容所の運営も行われた。


 どうして社会主義国家が独裁国家になってしまうのかというと、その始まりの革命・内戦における暴力的リーダー(レーニン、毛沢東、カストロなど)の登場と、その暴力的なリーダーが人格的に中央集権という権力を握りたがることにより、その後の恐怖支配が強化されていくため。すると権力集中を防ぐ司法の独立、自由選挙・言論・報道の自由の不在など、権力チェック機能が不在となる。こうしてマルクスとエンゲルスが提唱した本来の社会主義とは程遠いものとなった。


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