第3章2 産業革命後:文明の繁栄と衰退のパターン

 

ブータン


 ブータンは南アジアのヒマラヤ山脈東部、標高が高い内陸国。2025年の人口は約79万人で、チベットとインドと隣り合う国。山岳地帯が多く、平地は少ない。自然環境が豊か。世界的に幸せの国として知られ、チベット仏教の特にドゥク派を土台とした国。

 建国の歴史は1600年代、ブータンに移住したチベット仏教ドゥク派の高僧ガワン・ナムゲルが、中央高地を中心に各地の群雄を統一し、政教両面の権力を掌握。中央集権体制を確立し、各地に要塞を建設した。ただ単なる暴力支配ではなく、仏教・道徳・民衆統制を組み合わせた統治を行う。

 1952年の第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの時代からは国王が自らの権力を縮小していき、第4代国王の時代に憲法によって君主の権限が制限される立憲君主制へと移行する。つまり国の始まりは武力闘争でも、独裁国家にならなかった。

ブータンの歴代の国王

在位・活動期間

名称

政治体制

主な役割・出来事

1594頃–1651

シャブドゥン・ガワン・ナムゲル

僧俗二頭政治の創始

チベットから渡来しブータンを統一。チベット仏(ドゥク派)と世俗権力の二重統治体制を確立。「建国の父」。

1651–1907

国王不在の時代

僧俗二頭政治(宗教指導者と世俗行政の二重統治)

約250年間、宗教勢力・地方豪族・チベット勢力(ゲルク派)の抗争が断続的に発生。内戦の時代が続く。1800年代後半にウゲン・ワンチュクが台頭し統一へ。

1907–1926

第1代国王 ウゲン・ワンチュク

世襲君主制(ワンチュク王朝創始)

内戦を収束し、王朝を樹立。イギリスと協調外交。国王制を確立。

1926–1952

第2代国王 ジグミ・ワンチュク

世襲君主制

中央集権化を推進。インド独立後はインドと強い関係を構築。

1952–1972

第3代国王 ジグミ・ドルジ・ワンチュク

絶対王政 →権限縮小の始まり

近代化を推進(国民議会設立、教育・医療、道路建設)。王権を縮小し民主化の土台を築く。伝統文化の保護にも努めた。

1972–2006

第4代国王 ジグミ・シンゲ・ワンチュク

絶対王政 → 立憲君主制への移行

国民総幸福(GNH)を提唱。環境・文化を守りつつ近代化。立憲君主制への移行を主導し退位。

2006–

第5代国王 ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク

立憲君主制

26歳で即位。民主化の完成を見届け、国際舞台で活動。


 第3代・第4代国王が自らが権限の縮小を行うという過程の背景には、仏教の教えがあるという見方もある。ただ仏教は理想を語るものであり、それを実践できるかは本人の人格や誠実性による。つまりブータンの場合は国王の人格や誠実性が権力への執着を抑え、行動として権限縮小を示すことにつながった。


 ブータンは伝統的に農村社会で自給自足が中心だった。商取引は伝統的に米、バター、チーズ、肉、羊毛、手織りの布、その他の地元産品による物々交換を通じて行われた。ブータンが初めて銀製の硬貨を生産し始めたのは1700年代末で、主にインドとの貿易で使用するためだった。
 ただ1928年の第2代国王ジグメ・ワンチュクの治世中でも硬貨の使用は限られており、物々交換が依然として取引の主要な手段だった。政府関係者でさえ現金ではなく現物で給料を支払われていた。
 1960年代以降に第3代国王の指導で近代化・開発計画が本格化。学校、病院、行政機関が都市に集約され、道路網や通信インフラの整備により、商業活動も活発化する。1968年にはブータン銀行が設立され、完全な貨幣経済へのさらなる一歩となる。この頃には、ほとんどの給与が現物ではなく現金で支払われるようになった。1974年には財務省が初の紙幣を発行する。

出典:Royal Monetary Authority of Bhutan, Brief History of Currency of Bhutan, https://www.rma.org.bt/historyCurrency/(一部内容を補足・改編)



 そうして首都ティンプーなど都市への人口集中が進み、2020年代には人口の約43%が都市部に住む。2017年のブータン国勢調査局の調査で、農村から都市へ移住する要因として次のことがわかっている。


・農村部での基本的なサービスへのアクセスが限られていることが、人口流出の主な原因。
・都市部にはより良い教育施設がある傾向があり、より良い教育を受けた人々が農村部から転出する可能性が高い。前期中等教育を修了したことのある人口の割合は、都市部では59%、農村部では18%。
・15歳から24歳の年齢層が集中的に農村部から都市部への移住している。
・農村の個人または世帯全体が元の地域を離れる主な理由は、まともな雇用を求めることにある。

・公的部門での雇用の増加。公的部門は都市部の労働者の約3分の1を占め、公務員の定期異動が農村から都市部への人口流入を押し上げている。

・ブータンの人口を所得の低い順に5つのグループに分けると、所得が最も低いグループ(下位20%) の人々のほぼすべて(97%)が農村部に住んでいる。下から2番目のグループ(下から21%〜40%) の人々の大部分(89%)も農村部に住んでいる。反対に所得が1番目のグループ(上位20%)の77%は都市部に住んでいる。所得が多い2番目のグループ(上から21%〜40%)の59%も都市部に住んでいる。


出典:
Rural-Urban Migration and Urbanization in Bhutan, ブータン国勢調査局(National Statistics Bureau)
https://www.nsb.gov.bt/news/files/attach10il2499fd.pdf

ブータンの都市部に住む人口の割合(1700年〜2050年)

https://ourworldindata.org/grapher/urban-population-share-2050?tab=line&time=1700..latest&country=~BTN


 まだ農村社会だった1970年代の合計特殊出生率(以下、TFR)は約6.67人。そこから移住者が増え都市化が始まると、TFRが下がり始める。


ブータンのTFR(1950年〜2023年)

https://ourworldindata.org/grapher/children-born-per-woman?country=~BTN

 それでもブータンの人口は増加しているが、2023年にはTFRが人口維持に必要な2.1人を下回っているためやがて人口減少に転じることになる。

 

ブータンの人口(1950年〜2023年)



 人口増加の背景にあるのは、1960年以降の都市化政策によって医療や生活環境の改善があったため。例えば乳児死亡率がワクチン接種や母子保健サービスが大きく改善。5歳未満で死亡する新生児の割合が、都市化前の1960年では約32%だったのが、2023年では3%ほどに減少している。

ブータンの児童死亡率

5歳未満で死亡する新生児の推定割合。


 寿命は1950年頃の約35歳から2023年には70歳を超える。政府は医療を無料で提供している。
ブータンの平均寿命(1950年〜2023年)


 1960年代の政策で都市が誕生し人口がそこへ集まってくると、貨幣中心の都市生活を送る人が増え、自給自足する人が減り、農地の利用率も下がってくる。

ブータンの一人当たりの農地利用
 これは、総農地面積(耕作地と放牧地を合わせたもの)を一人当たりで割った推計値を示している。単位は1人あたりヘクタールで測定されている。



 都市化に伴いブータンでは男女ともに教育を受けた年数も伸びている。


ブータンの男性の平均就学年数(2012年〜2017年)

 25歳以上の男性が正規の教育を受けた平均年数。


ブータンの女性の平均就学年数(2012年〜2017年)

 25歳以上の女性が正規の教育を受けた平均年数。


 2017年の国勢調査(PHCB 2017)では農村部では60.6%の世帯が自己所有の住居に住み、24.5%が賃借人となっており、都市部では自己所有の住居に住んでいる世帯は9.9%で、半数以上(57.8%)が賃借人。

 一部屋で寝る人数は、混雑度を測る主要な指標。都市部は農村部(1.0人/部屋)よりもわずかに高い(1.2人/部屋)。水洗トイレを利用している世帯は農村部で57.5%、都市部で81.3%。


 2022年ブータン家計消費調査(BLSS)では農村と比較し都市部の家計支出割合で、衣服・通信・娯楽・交通・電化製品などへの支出が増加していることが確認されており、物質的価値の重視傾向を示している。

ブータンの都市部・農村部の耐久消費財保有率(2022年)

資産の種類

都市部での保有率(%)

農村部での保有率(%)

炊飯器

99.6

96.9

冷蔵庫

87.6

65.1

コンロ

94.5

82.3

洗濯機

62.3

30.8

テレビ

86.8

65.2

スマートフォン

99.3

91.9

パソコン・ノートパソコン

38.7

15.2

ソファセット

70.1

38.6

掃除機

9.2

2.9

暖房器具

68.7

33.8

エアコン

2.0

0.7

動力耕うん機

0.5

9.4

トラクター

0.2

1.1

チェーンソー

0.9

15.1

自家用車

45.2

26.2

バイク・スクーター

2.4

2.4

出典: 
2017 POPULATION & HOUSING CENSUS OF BHUTAN WANGDUE PHODRANG DZONGKHAG
https://www.nsb.gov.bt/wp-content/uploads/dlm_uploads/2020/07/PHCB2017_wp.pdf

BLSS-2022-for-WEB.pdf
https://www.nsb.gov.bt/wp-content/uploads/dlm_uploads/2022/12/BLSS-2022-for-WEB.pdf


 ブータンは独自の政策である国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)を取り入れ、幸せの国として世界的に有名。GNHの理念・背景としては、1970年代、第4代国王ジグミ・シンゲ・ワンチュクが経済成長だけではなく、国民の幸福を重視すべきとして提唱。GDP(国内総生産)ではなく、GNHを国の発展の指標として採用した世界で唯一の国。次の指標によって、経済発展と精神的・文化的豊かさのバランスを目指す。

⚫︎GNHの4つの柱
良い統治、持続可能な社会経済的発展、文化の保護と振興、環境保全

⚫︎GNHの9つの測定項目
生活水準、健康、教育、環境、社会的つながり、時間の使い方、心理的幸福、良い統治、文化的回復力・振興

出典:GNH Centre Bhutan

https://www.gnhcentrebhutan.org/the-4-pillars-of-gnh/

 2022年の調査結果では、GNH指数値は農村部で0.771、都市部で0.796で、都市部の方が高いスコアとなっている。これは都市部に住む人々の方が統計的に有意に幸福度が高いことを示している。この年の人口の58.7%が農村部に住んでいるが、ブータンの幸福な人のうち約57%は農村部に住んでいる。つまり都市部の人は幸福度が高い、しかし農村部には人口が多いので幸福な人の総数は多いということになる。

ブータンの地域別 GNH指数(2022年)

指標

全国

農村

都市

GNH指数

0.781

0.771

0.796

「非常に幸福」または「広く幸福」と感じる人の割合

48.1%

46.4%

50.5%

まだ幸福でない人の割合

51.9%

53.6%

49.5%

幸福な人の平均十分度

72.8%

72.8%

72.7%

まだ幸福でない人の平均十分度

57.9%

57.3%

58.8%

「非常に幸福」または「広く幸福」と感じる人の人口割合

100%

56.8%

43.2%

人口割合

100%

58.7%

41.3%


出典:GNH 2022, Table 5: GNH Index by region, 2022, Centre for Bhutan & GNH Studies
https://bhutanstudies.org.bt/wp-content/uploads/2025/01/2022-GNH-Survey-Report_compressed-1.pdf?utm_source=chatgpt.com


 ブータンでも貨幣が使用される以前の農村社会で、権力や安全保障の必要性から戦争が自然に発生していた。そして地域の戦争に勝利した集団による統一国家の樹立。そこへ貨幣が導入され、それが広まる中で行政・教育・交通が整備されていき都市化が進み、商業も活発化する。そして5歳児未満の死亡率低下や寿命の伸びが人口増加に繋がり、反対にTFR低下も起きる。
 こういったブータンが辿った歴史は、農業革命→国家形成→貨幣導入→近代化→人口転換という人類史の普遍的パターンとして、各国で見られる。通常は強力な統治者の下で独裁化する傾向があるが、ブータンでは後に国王が自ら権限を縮小したことで、民主化への道が開かれた。

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